江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

昌平橋

2012-12-01 | まち歩き

昌平橋は神田川に架かる橋です。大よその位置としては、上流北岸側に神田明神湯島聖堂が在り、上流南岸がお茶の水、下流北岸が電気街で有名な秋葉原です。橋の上に立って、上流側を眺めると、右手に総武緩行線の鉄橋が見え、左手には神田川に沿って中央線の赤レンガ高架橋が見えます。この赤レンガ高架橋をやや東京方面に行った、昌平橋下流の万世橋南岸には、2006年まで旧万世橋駅舎を利用した交通博物館が在りました(交通博物館が閉館した時に寂しい思いをした人は少なくないと思いますが、嬉しいことに、跡地に建設が進む商業施設と共に、旧万世橋駅舎に現存するホームや階段も整備されつつあり、2013年夏に一般公開される予定になっています)。


この地に最初に橋が架けられたのは寛永年間(1624年~1645年)と伝えられています。かつては橋の南西の淡路坂の上に在った一口稲荷社(いもあらいいなり(現在の太田姫稲荷神社))に因み、「一口橋(いもあらいばし)」や「芋洗橋」と呼ばれましたが、湯島聖堂が建設された際、孔子の生誕地である魯国の昌平郷にちなんで昌平橋と改名されました。明治維新後に橋の北西に在る相生坂に因んでか、相生橋と改められますが、明治六年(1873年)に洪水により落橋し、明治32年(1899年)に再架設された際に再び昌平橋の名称が付けられました。現在の橋は昭和三年(1928年)に架け替えられたものです。


昌平橋は、藤沢周平著「刺客 用心棒日月抄」(薄暮の決闘の章、新潮社)の中に登場。主人公・青江又八郎と敵対する筒井杏平は、筋違橋と昌平橋の間に在る加賀原(現在の秋葉原電気街の辺りに在った空地)のそばを決闘場所に指定します。


昌平橋が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「天保悪党伝説」(泣き虫小僧の章、新潮社)
  • 池波正太郎著「辻斬り」(剣客商売(二)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「唖の十蔵」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「密偵」(鬼平犯科帳(二)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「夜鷹殺し」(鬼平犯科帳(四)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「泥亀」「白い粉」「狐雨」(鬼平犯科帳(九)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「二つの顔」(鬼平犯科帳(十二)に収録、文藝春秋)
  • 波正太郎著「見張りの日々」(鬼平犯科帳(十七)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「雪の果て」(鬼平犯科帳(十九)に収録、文藝春秋)

昌平橋北詰 東京都千代田区外神田2-1-16

JR御茶ノ水駅・東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅から約300m 徒歩約4分

JR秋葉原駅から約400m 徒歩約5分


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