江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

石町時の鐘

2012-12-08 | まち歩き

藤沢周平著「海鳴り(下)」(文藝春秋)の結末近くで、主人公・小野屋新兵衛は、自身にとって、とても大切な朝に、遠くで本石町の鐘が鳴るのを聞きます。


宮部みゆき著「消えずの行灯」(本所深川ふしぎ草子に収録、新潮社)の中では、「(主人公・おゆうが)床の中にもぐりこんでから聞く本所横川町の鐘は、石町の鐘の音よりも、心持ち重たげに感じられた。」と記されています。


これらの作品に登場する鐘は、お寺の鐘ではなく、江戸の街に暮らす人々に時を知らせる時の鐘です。「海鳴り」に登場する本石町の鐘と「消えずの行灯」に登場する石町の鐘は、石町という町名が、後年、本石町と呼ばれるようになっただけの違いで、どちらも同じ鐘を指しています。


本石町は日本橋の町名の一つで、本石町の鐘は、現在の日本橋室町四丁目付近に在りました。商業ビルが建ち並ぶ現在のこの地には、当然ながら鐘楼は現存しませんが、少し離れた十思公園(小伝馬町牢屋敷跡)に、宝永八年(1711年)に鋳造された実物の本石町の鐘が移設されて残っています。数々の火事や関東大震災に耐え、戦争中の軍需金属資源の供出をも免れて、今なお、当時の鐘が現存しているのは、ある意味では驚きです。


本石町の時の鐘は、江戸市中に在った幾つかの鐘、例えば「消えずの行灯」に登場する本所横山町の時の鐘もその一つですが、その中でも最初に設置された鐘と言われています。本石町の鐘が撞かれた後に、その音を本所横川町の鐘など、周辺の鐘が引き継いで、江戸の隅々へ時を知らせていったので、本石町と周辺の町内とでは、少し時間にずれが在ったそうです。


もう一つ、時刻に関する話題を紹介すると、江戸時代には、日の出の30分程前を「明け六つ」、日没の30分程後を「暮れ六つ」と称し、昼と夜をそれぞれ六等分して、一刻(とき)とする不定時法という時間の定義を採用していました。一刻は約2時間ですが、同じ一刻でも昼と夜では長さが異なり、季節によって長くなったり短くなったりしていたというわけです。電気も電灯も無かった時代ですから、人の生活リズムはお天道様に寄り添わざるを得なかったのでしょうが、自然の理に適っていて、案外、今よりも暮らしやすかったかもしれません。


時の鐘(十思公園内) 東京都中央区小伝馬町5-2

東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅5番出口からすぐ


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