江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

妻恋坂

2012-12-15 | まち歩き

妻恋坂は、蔵前橋通を隔てて神田明神の北側に在る坂道です。今は表通りから一歩中に入った、さほど道幅が広くは無い路地といった趣ですが、蔵前橋通が存在しなかった江戸時代には、本郷へ抜ける道として人通りは多かったのではないかと想像されます。坂上に在る妻恋神社(妻恋稲荷)にちなんで妻恋坂と呼ばれるようになりました。


妻恋坂は、本郷台地の東端に在る坂の一つで、大雑把には、坂下の昌平橋通より東側は低地、西側は台地となります。「山の手の坂、下町の橋」とも言われるように、台地の部分は坂が多く、道も地形なりに通っているのに対し、本所や深川のような下町[1]では水路と共に橋が多く、道も規則正しく並んでいるのが対象的です。普段、電車やタクシーを使って移動していると、地形的な高低はあまり気にならないものですが、通り一本隔てて東と西で地形の表情ががらりと変わるのは、なんとなく不思議な感じがします。


妻恋坂は、鬼平犯科帳(池波正太郎著、文藝春秋)の中では、長谷川平蔵が度々人相書きを依頼する、元盗賊の引き込み役の絵師・石田竹仙が近くに住む坂として登場しています(鬼平犯科帳(十七)「権兵衛酒屋」)。


[1] 商工業が盛んな町人の住む町を「下町」といいますが、地形的には、台地の上を意味する「山の手」に対して、低地の部分を「下町」といいます。


妻恋坂下 東京都千代田区外神田6-4-7

東京メトロ銀座線 末広町駅から約250m 徒歩約4分


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