市ヶ谷八幡(現市谷亀岡八幡宮)は、JR総武線市ヶ谷駅から外濠を渡ってすぐ、左内坂の西側の高台に建つ神社です。太田道灌が文明十一年(1479年)に江戸城西方の守護として、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したのが始まりで、鶴に対して亀岡八幡宮と称しました。創建当時は市ヶ谷御門内に在りましたが、寛永年間(1624年~44年)に外濠の外の現在地に遷座しました。
亀岡八幡宮は天正年間(1573年~92年)に戦火で破壊され、荒廃していきますが、後に三代将軍・徳川家光やその側室・桂昌院(五代将軍・徳川綱吉の生母)等の信仰を得て再興されます。境内には茶店や露天商が立ち並び、大いに賑わったそうです。江戸名所図会や古地図[1]には市ヶ谷八幡宮の名で記されています。
市ヶ谷八幡は、鬼平犯科帳(二)「女掏摸お富」(池波正太郎著、文藝春秋)の中に登場。元掏摸のお富は、今は足を洗い、笠屋の女房として暮らしています。しかし、過去を知る男にゆすられ、止むを得ず盗みに手を染めます。長谷川平蔵は、市中巡回の途中、市ヶ谷八幡の境内で、お富を見掛けます。
市ヶ谷八幡が登場するその他の作品
- 鬼平犯科帳(四)「おみね徳次郎」、池波正太郎著、文藝春秋
- 鬼平犯科帳(六)「狐火」、池波正太郎著、文藝春秋
- 鬼平犯科帳(七)「泥鰌の和助始末」、池波正太郎著、文藝春秋
- 鬼平犯科帳(二十一)「春の淡雪」、池波正太郎著、文藝春秋
- 剣客商売(一)「井関道場・四天王」、池波正太郎著、新潮社
- 剣客商売(九)「或る日の小兵衛」、池波正太郎著、新潮社
- 剣客商売(十三)「剣士変貌」、池波正太郎著、新潮社
[1] 市ヶ谷牛込絵図、安政四年(1857年)/人文社復刻地図
市谷亀岡八幡宮 東京都新宿区市谷八幡町15
JR総武線市ヶ谷駅から約300m 徒歩約4分
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