江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

北中之橋

2015-06-20 | まち歩き

墨田区の江戸東京博物館を背にして、北斎通りを錦糸町方面に進むと、途中で大横川親水公園という、南北に細長い公園を横切ります。ここには、かつて大横川という水路が流れており、その水路を埋め立てて造成したのが現在の大横川親水公園です。

北中之橋は、北斎通りが大横川を渡るところに架けられていた橋で、後に長崎橋と呼ばれるようになりました。この地にある長崎橋の説明板には、架橋年は元禄十年(1697年)で、橋の名は、当時西側に隣接した、本所長崎町の地名にちなむとあります。試しに古い地図を調べてみると、橋の名は、尾張屋版江戸切絵図「本所絵図(文久三年/1863年)」には「北中之橋」と記され、「明治東京全図(明治九年/1876年)」[1]には「長崎橋」と記されています。明治期の他の地図にも、「長嵜橋」や「長サキバシ」とありますので、橋の名が北中之橋から長崎橋に変わったのは、幕末か明治の初めであったと考えらえます。

北中之橋が登場する時代小説には、鬼平犯科帳シリーズ(十八)(池波正太郎著、文藝春秋)に収録されている「馴馬の三蔵」があります。ある日、長谷川平蔵は、知人に案内されて、橋場の料理屋「万亀」を訪れます。そこで偶然、密偵の小房の粂八を目にしますが、いつもとは様子が異なり、いぶかしく思います。平蔵は北中之橋の舟着きまで知人を舟に乗せ、送りとどけた後、粂八を訪ねる決意を固めます。

 

 北中之橋が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著、「殺しの四人」(殺しの四人に収録、講談社)

 

 [1] 国立公文書館 デジタルアーカイブ

 

北中之橋(長崎橋)跡 東京都墨田区亀沢4-5-9
JR・東京メトロ半蔵門線錦糸町駅から約700m 徒歩約9分

 

 

北中之橋のあった場所。画面手前から奥の細長い公園がかつての大横川である大横川親水公園。

 

長崎橋をしのぶモニュメント

 

 

 


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