浅草橋の須賀神社の北隣には、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とするお寺が在りました。このお寺が閻魔堂です。下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、閻魔詣が盛んだった当時、特に縁日が立つ日には参詣客で賑わったそうです。華徳院は現在は杉並区に在り、かつて閻魔堂が在った場所には、今は石碑が立っています。
古地図[1]には、この場所に「エンマ」と描かれています。南隣には「天王」と描かれていますが、これは須賀神社の古い名前の牛頭天王のことです。
藤沢周平著「化粧する女」(風雪の檻 獄医立花登手控え(二)に収録、講談社)の中で、房五郎の女房のおつぎが「お閻魔さまに決まってるじゃないか。その節はよろしくなんてさ。」と語る場面が出てきますが、作品中には、この“お閻魔さま”がどこのお寺なのかは具体的に記されていません。しかし、おつぎの住まいが閻魔堂に近い蔵前の三間町であったことを考えると、おつぎが言う“お閻魔様”は華徳院の閻魔様と考えても良いのではないかと思われます。
[1] 御江戸大絵図、天保十四年(1843年) ※人文社から復刻地図が出版されています。
閻魔堂の石碑 東京都台東区浅草橋2-28-14 玩具会館横
JR・都営浅草線 浅草橋駅から約350m 徒歩約5分
閻魔堂の石碑
須賀神社(旧称 牛頭天王)
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