江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻之一の1   天笠へ漂着せし事

2019-10-26 22:53:46 | 新説百物語
新説百物語巻之一の1   天笠へ漂着せし事
                                  2019.10

天笠へ漂着せし事(漂流して、王になった)

これが、怪談ではなく、漂流奇談とも言うべき話です。山田長政を連想させる話です。

江戸時代には、「百物語」を冠した怪談集が流行りましたが、「新説百物語巻之一」に、漂流奇談である物語「天笠へ漂着せし事」というのが、収載されています。
漂着した場所が南天竺とあります。文字通りでしたら南インドということになりますが、状況からみて、そうではないでしょう。
フィリッピン、マレー、インドネシアあたりの、何処かの島でしょう。

当時の貿易船は、海賊に襲われる事もあるので、武装していたのは、当然でしょう。
また、話がまとまらなければ、武力で解決する事も、普通にあったでしょう。
乗組員は、もともと荒っぽい者であったでしょうし、ある時は、貿易商、ある時は和冦ともなったことでしょう。
戦国の日本の世を生きて、海外では和冦活動をしていたら、それはそれは、大変武力が強いことでしょう。
中国では、数十人の和冦が、中国の軍隊と戦いつつ、逃げ回り、数千人を倒して末に、やっと鎮圧されたということがありました。



新説百物語巻之一   天笠へ漂着せし事


中頃(室町時代位)に、京都に伊藤某という人がいた。
毎年、安南交趾(アンナンコウチ)の方面へ交易するために渡海していた。
その頃は、いまだ日本も戦国の世で物騒がしい時代であった。
それで、船中に武具など用意して、海賊に襲われれた時の用心としていた。
そうして、海上を渡海していた。
ある年、又いつものように、種々の商品を船につみ、中国へ向かっていった。
しかし、航海中に突然風向きが変わり、空は、真っ暗になり、舟を避難させるべき陸地も見えなくなった。
大いに風は激しく、雨も大いに降って、船も転覆しそうになったので、帆柱も切り倒した。
また、イカリも波にさらわれて、夜となく昼となく、風にまかせて漂流して行った。

ようやく五日目の朝かと思う頃、何の国とも知れない山際に、船は、打ち上げられた。
船中には、21人乗り合わせていた。
始めは、顔を見合せるばかりであった。
この五日の間、食事もせず、湯水も全く呑むことも出来なかった。
それで、始めにその山の岩根に船をつなぎ、湯をわかし、飯をたき、皆皆すこしづつ食べて、ようやく落ち着いた。
乗組員の中に新三郎というのがいたが、豪気な男であった。
彼一人が、船より上陸して、陸の様子や木立などを見たが、まったく見慣れない樹木ばかりであった。
今まで通った国々とは、一向に違っていた。
山のいただきに上って、山の向こうを見渡すと、大きい城があった。

その城を、外から攻めている様子であった。
人種は、常に聞いていた天笠人の様であった。
新三郎は、それから船へ帰り、残った二十人に、こう切り出した。
「こんな風に吹き流され、とても日本へ帰る事は出来ないだろう。
こうなったら、どちらかの味方になって、敵に打ち勝とうではないか。
そうなったら、その後、日本へ送り返してもらおうではないか?」と。
皆で相談して、すぐに一致賛同を得た。

船より用意の武器などを取だし、武装した。
又 先ほどの山に至って、戦争の様子を見ると、城の方が、負けている様に見えた。
どちらの味方をしたらよいかと迷ったので、太神宮の御はらいを取り出し、おみくじをひいた。
すると、城の味方との託宣であった。
それで、山を下り、一気に城を攻めている側に切り込んだ。当たるを幸に、切りまくったので、寄手は大いに驚きおそれた。
その所のならひにて、いくさにも人を切るといふ事なく、ただ棒にて勝負をいたしけるよし。


勇猛な日本人は、よく切れる刃物を持って、ここをせんどと切りまくったので、寄手は皆々逃げ失せた。
城方の軍勢は、大いに喜び、天の兵士が空から降りてきた、と城中に迎え入れた。
大いに喜ぶ事 限りなかった。
新三郎は、城主に向かい、通詞をもって吹きながされた様子を詳しく語った。
城主が言うには、
「私こそ、南天竺の大王である。
近年、北天竺と戦争をしていたが、少しずつ負け続けて、今ではやっとこの舎麗迦(シャリカ)城だけが残りました。そこへ、あなた達が来られて、命を拾いました。」と。
新三郎は、
「それなら、今まで切り取られた領土を取り返しましょう。」と言って、毎日毎日先手に進み、一月余りで、難なく南天笠を取り返した。
「最早、日本へ帰りたい。」と申しあげた。
すると、王は、
「これまでの御恩には、感謝してもしきれません。
願わくは、この国に長く留まって下さい。
そうすれば、あの舎麗迦(シャリカ)城を、与えましょう。」と答えた。

そこで、二拾二人は、相談して、
「ただいま日本へ帰っても、戦国乱世の時代であろう。それなら、ここに住もうではないか。」と決めた。
そして、新三郎を舎麗迦(シャリカ)王とし、他の者は、その臣下となった。
その後も、外国との通交も難しく、今はさらに便もなくなった。
その時分は、故郷へ、天笠の品物などを、度々送って来ていた。
それで、今でも故郷の家には、種々の珍しい物が保存されている、とのことである。
おおよそ、今からは、七代目位の昔の事であろう。

彼らの内の一人に、宮城氏なる人がいた。
これは、その子孫に直に聞いた物語である。




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