きょうは、八代の蕎麦屋さんのけんちゃんと、いっぷくラーメン店長のラーテンさんと久留米へ行った。
いっぷくラーメンへ集合なので、いつもなら八代からの通り道のけんちゃんに途中で拾ってもらうのだが、遅くなると僕の夕方からの勤務に遅れてしまうので、別々にいっぷくラーメンへ。
朝からの出勤ラッシュに関係ないバイクの僕が先に着き、しばらくしてけんちゃん登場。
三人揃ったところで、いよいよ出発と思いきや、ラーテンさんが家に用事があるとのことで、一旦ラーテンさんの家に戻り、用事を済ませた後、御船インターチェンジから高速道路へ。
途中パーキングエリアへ寄ったりして、久留米に到着。僕は久留米はこれで二度目。
久留米市内に入り、ここでもラーテンが用事があるというので、ラーテンさんを一人降ろし、用事が済むまでしばらくけんちゃんと二人で久留米市内のどこかのラーメンやさんに行ってみようということで、早めに開いてる「沖食堂」へ。
普段なら僕はあまりお店の人との会話もなく、黙々とラーメンを食べるのだが、きょうはけんちゃんが一緒で、熊本から来ましたと気軽に声をかけられ、それに乗っかって、僕も色々沖食堂の人と会話することが出来た。
沖食堂の後、連食は後のことを考えるとキツいので、どこか暇つぶしの場所はないか、沖食堂の人に聞いてみると、ナントカ(?忘れた)という所を教えてもらうが、結局分からず、久留米市内を車でウロウロしていると、ラーテンさんから用事が終わったとの電話が。
さっそく迎えに行き、2軒目は、前回久留米に来たとき気になってた「大砲」の「昔ラーメン」を食べよう!ということで「大砲」へ。
「昔ラーメン」というのは、昭和28年の創業時の復刻版ということで、通称「カリカリ」と呼ばれる豚脂の揚げ玉が浮いていたり、麺が蕎麦のように黒っぽかったり、普通のラーメンとは一線を画していた。
3軒目は何処にしようか?と相談しているうちに、これも前回気になってた日吉村という小さい飲み屋や食事処の集合した一角へ向かうことになった。
昭和の終戦後にタイムスリップしたような、なんともレトロな建物群。明らかにここだけ時代に取り残された感じだが、今となってはそれが逆に良く、とても新鮮だった。
しばらく、その町並みを散策していると、「生栄軒」というラーメン店が開いているのを発見!
導かれるように店へはいると、これまたテレビでしか見たことのないようなレトロな店内。
お年を召された女将さんが独りでやっておられ、ここでもけんちゃんやラーテンさんが一緒だったので、三九ラーメンの初代の人は体格が良く、凄く元気のいい女性の方で、終戦後の闇市の中でオープンしたとか、大砲の初代の方と一緒に屋台をやってたとか、大砲の初代の方は、ラードを作って残った脂を揚げた、揚げ玉をサービスで入れていたとか、色々と久留米の貴重な昔の話を聞くことが出来た。
日吉村を後にし、腹ごなしに久留米のアーケード街を歩いてみたが、閉まっているお店が多く、熊本の方がよっぽど活気がある感じだった。
しばらく歩いた後は、マックで小休憩。
前回来たときは、とにかく色々食べてみようということで、ほとんど無理矢理のような感じで5軒もまわって食べたのだが、今回はゆっくりと食べて貴重な話を聞くことが出来て、とても良い遠征となった。
熊本に戻り、ラーテンさんの奥さんが股関節の手術をして入院しているので、見舞いに行くことにした。
病院へ着き、中でエレベーターに乗り込み、扉が閉まる寸前に男性が飛び込んできたのだが、よく見ると、中学時代の同級生。
話を聞いてみると、なんとガンで入院してて、明日手術だという。
去年ガンの手術をして、一旦はガンを取り除いたけど、知らないうちに転移してて、再び手術のため入院しているということだった。去年はかなり死にかけるくらいヤバかったらしいけど、今年は早期発見で心配はいらないという。ちょっと安心。
でも僕と同い年だから若いはずなのに、もうガンで死にかけるくらいのおもいをしているとは・・・。僕もうかうかしていられない年齢になったということか・・・。
きょうはラーテンさんの奥さんのお見舞いに来たので、改めて後日見舞いに来るからと別れた。
ラーテンさんの奥さんは股関節の手術をしたということで、まだ全く歩けなかったが、それ以外は元気そうなので良かった。
いっぷくラーメンへ集合なので、いつもなら八代からの通り道のけんちゃんに途中で拾ってもらうのだが、遅くなると僕の夕方からの勤務に遅れてしまうので、別々にいっぷくラーメンへ。
朝からの出勤ラッシュに関係ないバイクの僕が先に着き、しばらくしてけんちゃん登場。
三人揃ったところで、いよいよ出発と思いきや、ラーテンさんが家に用事があるとのことで、一旦ラーテンさんの家に戻り、用事を済ませた後、御船インターチェンジから高速道路へ。
途中パーキングエリアへ寄ったりして、久留米に到着。僕は久留米はこれで二度目。
久留米市内に入り、ここでもラーテンが用事があるというので、ラーテンさんを一人降ろし、用事が済むまでしばらくけんちゃんと二人で久留米市内のどこかのラーメンやさんに行ってみようということで、早めに開いてる「沖食堂」へ。
普段なら僕はあまりお店の人との会話もなく、黙々とラーメンを食べるのだが、きょうはけんちゃんが一緒で、熊本から来ましたと気軽に声をかけられ、それに乗っかって、僕も色々沖食堂の人と会話することが出来た。
沖食堂の後、連食は後のことを考えるとキツいので、どこか暇つぶしの場所はないか、沖食堂の人に聞いてみると、ナントカ(?忘れた)という所を教えてもらうが、結局分からず、久留米市内を車でウロウロしていると、ラーテンさんから用事が終わったとの電話が。
さっそく迎えに行き、2軒目は、前回久留米に来たとき気になってた「大砲」の「昔ラーメン」を食べよう!ということで「大砲」へ。
「昔ラーメン」というのは、昭和28年の創業時の復刻版ということで、通称「カリカリ」と呼ばれる豚脂の揚げ玉が浮いていたり、麺が蕎麦のように黒っぽかったり、普通のラーメンとは一線を画していた。
3軒目は何処にしようか?と相談しているうちに、これも前回気になってた日吉村という小さい飲み屋や食事処の集合した一角へ向かうことになった。
昭和の終戦後にタイムスリップしたような、なんともレトロな建物群。明らかにここだけ時代に取り残された感じだが、今となってはそれが逆に良く、とても新鮮だった。
しばらく、その町並みを散策していると、「生栄軒」というラーメン店が開いているのを発見!
導かれるように店へはいると、これまたテレビでしか見たことのないようなレトロな店内。
お年を召された女将さんが独りでやっておられ、ここでもけんちゃんやラーテンさんが一緒だったので、三九ラーメンの初代の人は体格が良く、凄く元気のいい女性の方で、終戦後の闇市の中でオープンしたとか、大砲の初代の方と一緒に屋台をやってたとか、大砲の初代の方は、ラードを作って残った脂を揚げた、揚げ玉をサービスで入れていたとか、色々と久留米の貴重な昔の話を聞くことが出来た。
日吉村を後にし、腹ごなしに久留米のアーケード街を歩いてみたが、閉まっているお店が多く、熊本の方がよっぽど活気がある感じだった。
しばらく歩いた後は、マックで小休憩。
前回来たときは、とにかく色々食べてみようということで、ほとんど無理矢理のような感じで5軒もまわって食べたのだが、今回はゆっくりと食べて貴重な話を聞くことが出来て、とても良い遠征となった。
熊本に戻り、ラーテンさんの奥さんが股関節の手術をして入院しているので、見舞いに行くことにした。
病院へ着き、中でエレベーターに乗り込み、扉が閉まる寸前に男性が飛び込んできたのだが、よく見ると、中学時代の同級生。
話を聞いてみると、なんとガンで入院してて、明日手術だという。
去年ガンの手術をして、一旦はガンを取り除いたけど、知らないうちに転移してて、再び手術のため入院しているということだった。去年はかなり死にかけるくらいヤバかったらしいけど、今年は早期発見で心配はいらないという。ちょっと安心。
でも僕と同い年だから若いはずなのに、もうガンで死にかけるくらいのおもいをしているとは・・・。僕もうかうかしていられない年齢になったということか・・・。
きょうはラーテンさんの奥さんのお見舞いに来たので、改めて後日見舞いに来るからと別れた。
ラーテンさんの奥さんは股関節の手術をしたということで、まだ全く歩けなかったが、それ以外は元気そうなので良かった。