今秋の京都非公開寺院一般公開が行われていますが、そのうちの慈受院門跡の公開に行ってきました。(もうひと月前ですが)
慈受院は京都上京区の堀川寺之内にあり周りには裏千家や宝鏡寺門跡などがある地域です。
慈受院は普段はその門前に「拝観謝絶」という札がかかり門扉はいつも閉じられている寺院ですが、数年に一度は
公開されていて、今回の機会にやっと訪れることができました。非公開寺院ですが公式HPが開設されていて
完全に世間と隔絶しているわけではなくて、御住職の法話などもUPされています。
寺史については門前にあった由緒書きをどうぞ↓
寺の変遷が少々複雑なようで、上記由緒書きに補足すると尼五山のひとつである「通玄寺」の子院として慈受院建立、
通玄寺の子院としては他に総持院・曇華院があった→江戸中期の元禄年間に曇華院門跡が慈受院門跡を兼ねるように
なった→明治初年廃寺となる→大正8年に慈受院復興。総持院と合併する形をとり、御所号は総持院の「薄雲御所」、
山号も総持院の「広徳山」、寺号は「慈受院」とした。
総持院の法灯も引き継いでいるので、建物の中に「総持院」の扁額が掲げられていましたね。
さて一般公開はまず門から入り玄関を上がって御所から拝領したという本堂、茶室、渡り廊下を進んで
書院造の間を通って再び玄関で退出・・・のコースでそれぞれの部屋で案内があり、伝来の宝物が
展示されていて、近代に造られた庭も見物してという流れ。小さな建物と敷地なのでじっくり拝観しても1時間ぐらいです。
玄関にかかる慈受院の扁額は円照寺門跡であった伏見宮文秀女王によるもの。
慈受院は臨済宗で御本尊は釈迦如来。本堂には尼門跡によく見られる真ん中に御本尊、向かって右に歴代門主、
左に歴代天皇をお祀りする3つのお厨子を安置している。御本尊の釈迦如来像は小さな座像で
足利四代将軍義持ゆかりの仏像であるそうだ。堂内は撮影禁止。庭は撮影OK。本堂前の庭(近代作庭)
庭の中心には樹齢800年以上といわれるご神木の楠が存在感を出している。本堂前の庭のほかにも中庭など複数あって
いずれもきれいに手入れがしてある。
奥に見える普通の住宅は御住職の住居(=庫裏)だそうです。
普段は拝観謝絶の慈受院で唯一お参りのできる毘沙門堂。
慈受院の御朱印。あと毘沙門天の祈祷札と慈受院オリジナルのストラップ。普段は買えないレアものなので購入しました!
←ポチリとクリック応援お願いします
慈受院は京都上京区の堀川寺之内にあり周りには裏千家や宝鏡寺門跡などがある地域です。
慈受院は普段はその門前に「拝観謝絶」という札がかかり門扉はいつも閉じられている寺院ですが、数年に一度は
公開されていて、今回の機会にやっと訪れることができました。非公開寺院ですが公式HPが開設されていて
完全に世間と隔絶しているわけではなくて、御住職の法話などもUPされています。
寺史については門前にあった由緒書きをどうぞ↓
寺の変遷が少々複雑なようで、上記由緒書きに補足すると尼五山のひとつである「通玄寺」の子院として慈受院建立、
通玄寺の子院としては他に総持院・曇華院があった→江戸中期の元禄年間に曇華院門跡が慈受院門跡を兼ねるように
なった→明治初年廃寺となる→大正8年に慈受院復興。総持院と合併する形をとり、御所号は総持院の「薄雲御所」、
山号も総持院の「広徳山」、寺号は「慈受院」とした。
総持院の法灯も引き継いでいるので、建物の中に「総持院」の扁額が掲げられていましたね。
さて一般公開はまず門から入り玄関を上がって御所から拝領したという本堂、茶室、渡り廊下を進んで
書院造の間を通って再び玄関で退出・・・のコースでそれぞれの部屋で案内があり、伝来の宝物が
展示されていて、近代に造られた庭も見物してという流れ。小さな建物と敷地なのでじっくり拝観しても1時間ぐらいです。
玄関にかかる慈受院の扁額は円照寺門跡であった伏見宮文秀女王によるもの。
慈受院は臨済宗で御本尊は釈迦如来。本堂には尼門跡によく見られる真ん中に御本尊、向かって右に歴代門主、
左に歴代天皇をお祀りする3つのお厨子を安置している。御本尊の釈迦如来像は小さな座像で
足利四代将軍義持ゆかりの仏像であるそうだ。堂内は撮影禁止。庭は撮影OK。本堂前の庭(近代作庭)
庭の中心には樹齢800年以上といわれるご神木の楠が存在感を出している。本堂前の庭のほかにも中庭など複数あって
いずれもきれいに手入れがしてある。
奥に見える普通の住宅は御住職の住居(=庫裏)だそうです。
普段は拝観謝絶の慈受院で唯一お参りのできる毘沙門堂。
慈受院の御朱印。あと毘沙門天の祈祷札と慈受院オリジナルのストラップ。普段は買えないレアものなので購入しました!
←ポチリとクリック応援お願いします
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます