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★墨田区内循環バス★

2012年05月01日 | ★乗り物★
墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」を運行開始しました

「東京スカイツリー(r)」と商業施設「東京ソラマチ(r)」が、5月22日(火曜日)にオープンを迎えます。そこで、観光客に区内の回遊を楽しんでいただくとともに、区民の皆さまの生活利便性を向上させ、お役立ていただくため、区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」を3月20日(火曜日)に運行開始しました。



このバスは、京成バス株式会社の運行により、区内を北西部ルート、北東部ルート、南部ルートの3つの循環ルートで結ぶもので、スカイツリー前の押上駅では3つのルートが乗り入れるため、ここから他のルートに乗り換えることもできます。
区と運行事業者は、安全・正確・快適な運行を十分に心掛け、皆さんが何度も乗ってみたくなる「すみだの案内役」として頼られる路線バスとなるよう、一体となって取り組んでいきます。



















★旅シリーズ★熱海 起雲閣 其の9

2012年05月01日 | ★旅行★国内
実業家根津嘉一郎の別邸

根津 嘉一郎(ねづ かいちろう=初代、万延元年6月15日(1860年8月1日) - 1940年1月4日)は政治家、実業家。

東武鉄道や南海鉄道(現・南海電気鉄道)など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わった。「鉄道王」と呼ばれることで有名。

甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)に生まれる。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商で、「油屋」の屋号を有していた。



『根津翁伝』によれば、1877年(明治10年)に山梨郡役所の書記として働いていたが、民権運動にも携わる。長兄の死により家督を相続し、1889年(明治22年)には村会議員となった後、東京へ進出。若尾逸平や雨宮敬次郎と知り合い、甲州財閥を形成。第一徴兵保険会社や帝国火災保険、富国徴兵保険など保険会社の資金を運用し、東京電灯の買収などに関わる。1905年(明治38年)には東武鉄道の社長に就任し、経営再建に取り組んだ。



その他にも経営に行き詰まった企業を多く買収し、再建を図ったことから「火中の栗を拾う男」「ボロ買い一郎」との異名や揶揄を与えられることもあった。資本関係を持った鉄道会社は24社に及び、多くの会社において名誉社長などに就任した。その中の数社には同じ甲州出身の早川徳次を送り込み、経営を任せて再建している。



「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念のもと、教育事業も手がけ、1922年に旧制武蔵高等学校(現在の武蔵中学校・高等学校)を創立する。



なお、1904年(明治37年)以降衆議院議員を連続4期務めた他(憲政会)、1920年(大正9年)より勅選貴族院議員となった。墓所は多磨霊園。


★動物★ 猿

2012年05月01日 | ★動物★
★動物★ 猿

猿回しとは、猿使いの口上や太鼓の音に合わせて猿が踊りや寸劇などを見せる大道芸の一種。猿飼、猿曳、猿舞、野猿まわしなどとも呼ばれている。

猿を使った芸は奈良時代に中国から伝わったとされている。昔から馬の守護神と考えられてきた猿を使った芸は、武家での厩舎の悪魔払いや厄病除けの祈祷の際に重宝され、初春の祝福芸を司るものとして、御所や高家への出入りも許されていた。

それが室町時代以降から徐々に宗教性を失い、猿の芸だけが独立して、季節に関係なく大道芸として普及していった。

江戸時代には、全国各地の城下町や在方に存在し、「猿曳(引)」「猿飼」「猿屋」などの呼称で呼ばれる猿まわし師の集団が存在し、地方や都市への巡業も行った。近世期の猿引の一部は賤視身分で、風俗統制や身分差別が敷かれることもあった。

明治以降は、多くの猿まわし師が転業を余儀なくされ、江戸・紀州・周防の3系統が残されて活動した。昭和初期になると、猿まわしを営むのは、ほぼ山口県光市浅江高州地域のみとなり、この地域の芸人集団が全国に猿まわしの巡業を行なうようになった。

猿まわし師には「親方」と「子方」があり、子方は猿まわし芸を演じるのみで、調教は親方が行なっていた。
高州の猿まわしは、明治時代後半から大正時代にかけてもっとも盛んだったが、昭和に入ると徐々に衰え始める。職業としての厳しさ、「大道芸である猿まわしが道路交通法に違反している」ことによる警察の厳しい取締り、テキ屋の圧迫などから、昭和30年代(1955年 - 1964年)に猿まわしはいったん絶滅した。

しかし、1978年(昭和53年)に周防猿まわしの会が猿まわしを復活させ、現在は再び人気芸能となっている。













★旅シリーズ★熱海 起雲閣 其の8

2012年05月01日 | ★旅行★国内


熱海起雲閣・根津財閥。

根津財閥は、根津嘉一郎によって設立された日本の中堅財閥。

「私鉄王」と呼ばれた根津が一代で築いた企業群。根津が甲州(山梨県)出身であるため、甲州財閥の一つともされる。主として根津の采配による面が強かったが、正田貞一郎、宮島清次郎といった盟友に支えられ、また小林中(フコク生命)、山本為三郎(アサヒビール)といった人材を生み出した。



旧根津財閥

サッポロビー
三井グループでもある。ちなみにヱビスビールは旧日本麦酒(ニッポンビール)の商標である。

東武鉄道
長らく旧根津財閥の本家であった。



日清製粉グループ本社
正田家のかつての創業事業の一つであり、正田醤油は事実上の兄弟会社にあたる。

日清紡績
東邦テナックス(旧東邦レーヨン)の元親会社。元野村財閥の傍系にあたる高級シャツメーカー・CHOYAと資本業務提携の末、完全買収。



日本精工
元は旧安田製釘所(現安田工業)のOB会社。このため戦時中に旧安田銀行の軍需指定を取り付けたことにより、今日の芙蓉グループとの関係を持つこととなる。