橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

「ツイッターノミクス」トークイベントに参加した。ちと反省あり(_ _|||)

2010-04-13 14:49:13 | ツイッターで仕事辞めました~その後
昨日新宿ブックファーストで行われた「ツイッターノミクス」トークイベントは著者のタラ・ハントさんの話も面白く、かつ津田さんの司会も、同時通訳のかたの通訳も素晴らしく、ほんとうに貴重な体験だった。2人のサインももらえたし。



ただ、その中で、会場の参加者に対し自らがツイッターで得した体験談を求められ、私も話をしたのだが、それについてその後いろいろ考えてしまった。

今後の仕事の中でツイッターを活用したいと思い、自分アピールモードになっている私は、トークイベントで挙手をして発言した。しかし、恥ずかしい事に、話をしながら感極まってしまったのだ。すいませんを連発しつつ、なんとか話終えたが、こんなところで感極まってしまうほど冷静さを欠いても良いものか、この体験談をこんな形でみなさんに聞かせてしまった事がよかったのだろうかと思えてきて、こんな言い訳がましい文章を書いている。

その体験談というのは、一部、このブログの過去記事にもあるが、一つは、わたしが水道橋博士や東浩紀(敬称略)のリツイートで、ブログに一日3000近いページビューを獲得した事。もう一つは、ツイッターでつながったがん患者をパートナーに持つある女性のエピソードだ。ある日彼女はすごく落ち込んでいて「暗いつぶやきばかりですいません」と繰り返していた。それに対し、私も含め幾人もの人がツイッター上で彼女に言葉を送っているようで、彼女は、それぞれに対しありがとうございますとつぶやいていた。そして、数時間後、彼女はある癌専門医のつぶやきに対し「ありがとうございます。丸ノ内線の中で泣いているのは私です」と返信したのだ。その彼女のつぶやきに私は心を揺さぶられ、ツイッターの力に驚いた。

当時私は、テレビの仕事を辞める事を決めていて、ブログの当時の記事を読んでいただければわかるが、その背景にもいろんなことがあったため、かなり切羽詰まっていた。誰かに勇気をもらいたかったのだと思う。
水道橋博士にリツイートされたのだって、「誰か私のことをバカじゃないと言ってー」とつぶやいてのことだ。博士に対して「バカじゃないと言ってー」と言ってた時はまだ、自分を客観的に見て、(笑)的な余裕もあったと思うが、その後、ブログの3000PVという事態とツイッター上で励ましの返信をたくさんもらって心強くなり、ちょっと自分を客観的に見ることを忘れていたかもしれない。そして、その翌朝、彼女の丸の内線内でのつぶやきに出会うのだ(イベントでは、癌の話を先にしたので、さらに、と博士のリツイート話をつなぎ、こちらが後のように聞こえたかもしれません。順序による因果関係はなく、並列の出来事です。勘違いさせてたらすいません)。
もちろん、仕事はすでに辞める事を決めていたので、それに背中を押されてというのではない。仕事を辞めると決めて不安だったところに大きな勇気をもらい、退職の決断を固いものにしたということだ。
当時からテレビを辞めたらやりたいと思っている事があったので、そちらに大きく気持ちがシフトした。

私もそれ自体が悪いことだとは思っていない。
けれど、人前で話をする時に感極まってしまったというのは、結局、その時の自分のことを思い出していたからだ。自分可愛さである。実際に仕事を辞めてしまって、友人にも「大丈夫か」と言われ、不安の中暗中模索している自分を再び誰かに肯定してもらいたかったのかもしれない。ウッフィーどころか、私はこの話をみなさんに聞いてもらう事で、自分を癒そうとしていたのかもしれない。イベント後声をかけてくださったかた、ツイッター上で返信を下さった方、お礼を言わなくてはならないのは私の方です。

ツイッターは決して避難所ではない。現実世界でうまくいかない事を愚痴る場所でもない。しかし、私はかつての職場で四面楚歌だと(実際には三面くらいですが)思い込み、ツイッターにハマっていったのもある部分では事実だ。テレビ局で働きながら、記者クラブ問題に言及し、日々の報道に異を唱えていた。そうだったからこそ、私自身、かつてのつぶやきで、ツイッター上で議論が盛り上がり、尖鋭化してしまうことを危惧してもいる。共感と表裏一体にある排除や、熱くなりすぎたがゆえの盲目の危険性には自覚的でなくてはならない。
にもかかわらず、昨日の自分はそうしたリテラシーに無自覚で、勝手に熱くなって自分の話を垂れ流してしまったのだ。そうした私が当時おかれた状況や背景も説明せずに、ただ感動したという事例だけを語ってよかったものか。
あの話の背景には、私の熱い思いや冷静な批判の一方で、愚痴とか、甘えとか、逃げとかも一杯漂っている。
全てを単純化し、都合良く抽出するテレビの演出を批判しながら、自分のやっていることはそれではないのかと、いまさらながら思い知らされた。
反省をしてもしょうがないかもしれないが、ツイッターが今後健全にインフラ化していくためには、どうあればいいのか。熱い思いを抱えながらも、冷静に判断しながらつぶやいていかねばならない。
いや、実際に人前で語るより、ツイッターで文字にする方が、客観化されクールダウンされているので、私のような人間にはいいのかもしれないなあ。

それに、多くの方は、冷静にツイッターを使っておられ、建設的な会話がたくさん行われているので、私が心配すべきは、自分の暴走を押さえる事だけなのかもしれません(笑)。

昨日あれだけ、良い話っぽく語っておきながら、翌日にはこんなこと書いてすいません。浅はかな人間だということを暴露してしまったようなものですが、もう一歩一歩反省しながらやっていくしかないです。「誰かバカじゃないと言ってー」とはもう言いませぬ。どんどん「バカ」と言って下さいませ。
そして、よろしければ、今後の活動を見守っていただけるとありがたいです。

最後になりましたが、今、ツイッターを通して、あらためて「言葉の力」を実感しています。
言霊という言葉がありますが、言葉はある時は万人の力にもなり、あるときは一人歩きして我が身を滅ぼす。
もっと意識的に言葉を使わねばならない時代になってきているのだなあとしみじみ感じています。

そして、貴重なお話をしてくださったタラ・ハントさん、司会の津田さん、素晴らしい同時通訳の方、本当にありがとうございました。
そうそう、タラさんの新しいツイッターのアイコンが日本で撮ったと思われるかわいいプリクラに変わっている。
彼女のこのかわいさ、軽快さを見ていると、こんな思い詰めてる私って何なんだと、我が身を顧みてしまいましたよ。
人間軽やかでないとあかんわなー。
今日こそ桜のビデオアップしよ。

長文おつきあいいただきありがとうございました。
ツイッターノミクス TwitterNomics
タラ・ハント 津田 大介(解説)
文藝春秋

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