ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

新・同棲時代

2023年05月05日 | 作品を書いたで
 高架の上を貨物列車が通った。細い道を隔てたここにも振動が伝わって来る。天井からパラパラほこりが堕ちてくる。二人で食べているラーメンの鉢をあわてて両手でフタをする。さちこの白い手の甲に黒いつぶつぶが付いた。
「昔を想い出すな」
「そうね」
 舞ってるホコリを手であおいで、ゆうすけはラーメンをすすった。
「このラーメン、あとどれぐらいある」
 さちこが横の押入れを開けた。
「二個」
「また買わなあかんな。今度は別のラーメンにせえへんか」
「これが一番安いのよ」
「しゃあないな。もっとええバイト見つけるよ」
「無理しなくていいのよ。あたしはこれでしあわせ」
「ねよか」
 四畳半にしかれた薄い布団にふたりはもぐり込んだ。夕食はインスタントラーメン一杯。空腹は満たされない。眠れば空腹は気にならない。
 二人に目覚まし時計はいらない。カーテンのない東側の窓からさしこむ太陽光で目が覚める。
 朝食代わりに麦茶を飲む。
「きょう、ワシ給料日や」
「あたしも」
「今夜はちょっと贅沢しよか」
「賛成」
 風が冷たい。手に持った石けん箱がカタカタ鳴る。いつも行ってた銭湯は閉鎖した。少し遠い銭湯に来た。二人のアパートには風呂がない。暖かい季節ならいいが、冬は湯冷めする。風呂のあるアパートに越したいのだが、さちことゆうすけの収入では風呂なし四畳半三畳のアパートでせいいっぱい。
 コンビニに寄って、おでんを買う。大根、卵、こんにゃく、牛すじ、がんもどきを二個づつ買う。それカップ酒も二個買った。
「寒いね」
 ゆうすけがさちこを両手で抱く。
「ゆうすけの手あったかい」
 身を寄せ合ってアパートに帰る。
 へこんだ鍋におでんを入れて暖める。やかんにお湯をわかしてカップ酒を燗する。
「お金貯めて電子レンジを買おうね」
 おでんとお酒が温まった。
「さ、食べようか」
「ずいぶん贅沢しちゃったね」
 おでんを半分ほど食べたところでさちこがガタガタ震えだした。
「なんだか寒気がするわ」
 ゆうすけがさちこのひたいに手を当てる。
「熱があるじゃないか」
「コロナかしら」
「ワクチンうったからだいじょうぶやと思うけど」
 ゆうすけが薄い布団をしく。掛け布団を二枚にする。さちこはそのまま眠ってしまった。ゆうすけが心配そうにさちこの寝顔を見る。もしコロナだったら。三回目のワクチンは二人とも接種ずみだ。ワクチンとて完璧ではないだろう。万が一新型コロナウィルスに感染していたら。二人とも高齢者だ。重症化、最悪死に至る。

「ゆうすけさん?ゆうすけさんじゃないですか」
 シルバーの事務所を出たところで、老婦人に声をかけられた。ゆうすけより少し若い。六〇代後半だろう。
「はて、だれだろう」死んだ女房の友だちだろうか。だったら下の名前では呼ばないだろう。南さんと、苗字を呼ぶだろう。どこかで会ったような気がする。ん、まさか、あれから五〇年も経っている。でも、面影はある。
「さちこ、さん、か」
「はい」
 日本がバブルでうかれる少し前、ゆうすけとさちこは出会った。
 小さな広告制作のプロダクション。ゆうすけはコピーライター、さちこはデザイナーだった。ゆうすけの方が少し年上だった。
 ゆうすけはコピーライター養成講座を、さちこはデザイン専門学校を修了して、そのプロダクションに就職した。
 新入社員歓迎コンパでゆうすけは飲み過ぎた。若く飲み慣れない酒を、すすめられるまま飲んだ。泥酔して正体がなくなったゆうすけをアパートまで送ったのは、さちこだった。 ゆうすけは兵庫県の但馬の出身、さちこは淡路の出身。ふたりのアパートは近くだった。
 二人はなんとなく同棲するようになった。そしてなんとなく別れた。ふたりは若かった。
 それから五〇年経った。ふたりとも独身であった。
 なんとなくいっしょに住むようになった。べつに結婚したわけではない。ただいっしょに暮らしているだけだ。
 二人とも七〇を超した。貧乏なのはあのころと変わらない。