ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

新しい歩み

2022年08月05日 | 作品を書いたで
 ここに来るのはずいぶん久しぶりだ。このあたりは、子供のころは「学校のうら山」で毎日のように放課後に遊びに来ていた。一番最近に来たのは四〇年ほど前だろうか。そのころは、休みの日はよくここまで来て山を登ったものだ。
 山といっても高い山ではない。。神戸市東灘区にある金鳥山。六甲山系にある 標高三百メートルほどの山だ。その中腹に神社がある。保久良神社という。二百メートルに満たない所にある神社だ。低すぎず高すぎず、ちょっと登るにはちょうど良い場所にある。標高は高くないが上り坂は、けっこう急だ。
 さあ、登ろう。神社までたどり着けなければ引き返すのもやむを得ない。

 左足首の関節が痛み始めて、かなり時間が経った。若いころからだろう。いつごろから痛み始めたのか記憶にない。ふと気がつくと左足足首の関節が痛んでいた。昔は普通に歩けた。今は装具をつけなくては痛くて歩けない。装具をつければ一日一万歩ぐらいなら歩けた。ところが最近は少し歩くと痛むようになった。症状の悪化がかなり進行している。 橋村先生はMRIの画像を見ながらうなった。
「いけませんね。最近、少し歩くと痛むようになったでしょう」
「はい。毎日、三〇分ほど散歩していたのですが、最近はそれもしんどくなりました」
「これを見てください」
 二枚のMRI画像を並べて表示した。
「右が三ヶ月前の画像。左が今日撮った画像です。ここを見てください」
 先生が指示した画像の部分を見ると、左の画像の骨の形状が違う。
「関節の骨の隙間が小さくなっているでしょう。軟骨が少なくなって関節の骨と骨が接触するようになったのです」
 素人でも判る。骨と骨をつなぐクッションがへたってきているのだ。骨と骨がゴリゴリと触れあって神経を刺激しているのだ。
「判りました。どうしたらいいですか」
「人工関節を埋め込む手術が必要です」
「その手術はここでできますか」
「ここでは設備がありません。大きな病院を紹介します」
 人工関節の手術。手術そのものは、早ければ一週間ほどの入院で済むが、術後のリハビリに時間がかかる。職場に復帰するには最低一ヶ月はかかる。
 私の会社での身分は契約社員。五年前に定年となり、契約社員となって継続して今の会社で働いている。正社員の時ならともかく、契約社員で一ヶ月も休めない。会社は一ヶ月間も私がやっている仕事を止められない。替わりの人員を入れるだろう。復帰しても私の席はない。
 もう半世紀近くも働いてきたのだ。もういいだろう。仕事と足。足を取った。

「手術をします」
「そうですか」
 橋村先生は納得したような顔でうなづいた。
「では、県立医科大学に紹介します。いつごろ入院するおつもりですか」
「手術はすぐにもしなくてはいけませんか」「命にかかわる病気ではないので緊急性はないです。それでも、早い方がいいでしょう」「会社を辞めるます。すぐ手術します」
 一週間後、県立医科大に紹介状を持っていって、入院手術の受付をしてもらった。昨日、整形外科外来で術前診断を受けた。事前に受けたMRIを見ながら先生はいった。
「関節の変形がかなり進んでいますね。人工関節をここに埋め込む手術をします」
 手術の前日に入院した。手術室担当の看護師が病室に来て、手術の具体的な段取りを説明した。明日の午前一〇時三〇分に手術開始。順調にいけば一時間で終わる。麻酔は局部麻酔で脊髄くも膜下麻酔という。脊髄に注射される。手術そのものよりも、この脊髄への注射がこわかった。
 手術室に入って、背中に消毒液を塗られ、
「では、麻酔をしていきます。痛みを感じたらいってください」
 チクッとだけした。あとは背中を何かが通過していることだけが判った。下半身がしびれて何も感じなくなった。
 手術は二時間ほどで終わった。局部麻酔であったが痛くはなかった。手術が終わっても病棟の病室にはもどらず、ナースステーション隣の術後専用病室に入れられた。患者にとって手術直後が最も危険な状態だ。三〇分おきに看護師が様子を見に来る。
 翌日、朝に病棟の病室に戻された。三日後には退院。あとは通院してリハビリに専念する。リハビリも当初は痛くつらかったが、だんだんなれてきた。
 一ヶ月後、リハビリ終了。通常の生活にもどる。リハビリ最終日、主治医に聞いた。
「なにをしてもいいですか」
「いいですよ。なんでしたらオリンピックに出てもいいです」
 病院から帰るときは装具なしで歩いた。装具なしで歩くのは何年ぶりだろう。

 退職したので時間はたっぷりある。リハビリ終了直後は、三〇分程度の散歩を日課にした。少しびっこをひくが、痛まずに歩けるようになった。 足が軽い。毎日の散歩が楽しみになった。
 人工関節には完全になじんだといっていい。
 坂道の傾斜がきつくなってくる。平地を散歩する時は感じないが、坂道を歩く時には、さすがに年齢を感じる。
 子供のころは、この坂道を駆け上がって、虫穫りをした。
 息が切れる。最初のカーブだ。まだ足は動く。行けるぞ。この調子で保久良神社まで登って行こう。
 二番目のカーブだ。あと三回曲がると保久良神社に着く。想えば、この山道を以前、歩いた時は装具をしていなかった。関節を痛めて装具を装着するようになったら、一日に一万歩歩けば、関節の痛みは夜寝るまで続く。翌朝には治っているが。
 最後のカーブだ。これを曲がると神社の鳥居が見えてくる。ゼーゼーいいながら歩く。足はまだ大丈夫だ。
 着いた。鳥居をくぐる。四十年ぶりに保久良神社に来た。装具なしでここまで歩いて来た。私の新しい人生が始まる。