ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

終着駅

2024年01月25日 | 作品を書いたで
 顧客を交えた会議が午後六時半までかかった。その後近くの料亭で接待。そのあとバーで二次会。ホテルに客を送っていく。
 ホテルを出たのは十一時をすぎてからだ。
 最終電車は十一時十五分。走れば間に合う。全力疾走して改札を駆け抜け、エスカレーターを駆け上がったとき、電車が滑り込んできた。十一時四十五分に自宅最寄り駅に着く。自宅は駅から十五分。急いで帰れば「今日」中に家に帰れるはずだった。

 最終電車にはそこそこ乗客はいた。
 座席の中ほどに座った。つかれた。うとうとする。三駅分。三十分は眠れる。ドスン。隣りに勢いよく座った者がいた。ウトウトしかけたのがハッと目が覚めた。
 中年の男が座っていた。静かに座れと文句をいってやろうと思ったが、ケンカになったらイヤだから黙っていた。
 ハー。大きなため息をして肩を落とした。なんだか疲れているようだ。同年配の男だ。スーツにネクタイ。営業職だろうか。ご同業と見た。
 スマホを出して、しばらくいじっていたが、すぐポケットにしまった.スマホを触る気力もないみたいだ。こくりこくりと居眠りを始めた。そのうちぐっすりと熟睡した。盛大に白河夜船だ。
 よほど疲れていたのだろう。がっくりと前に首を折り、左右にゆれだした。
 帰りの電車だ。きょう一日をふり返った。午前中は部下と二人で得意先を訪問。注文を受けたモノの納品日を部下が読み違い、相手先の希望納期と大きな違いが出た。謝罪と仕入れ先と納期短縮交渉を行うことを約束する。
 そこを辞去し、二人でファミレスで昼食。その足で隣県の仕入れ先まで移動。相手の工場長と談判。なんとか納期を一週間短縮してもらう。そのムネを部下に連絡させる。得意先は納得したようだ。
 会社に帰ったのは午後四時。四時半には顧客が来社。その顧客を交えて会議。会議はえんえんと続いた。途中退席し、総務の女子社員に顧客宿泊用のホテルの予約を指示。接待用料亭は予約ずみだ。
 会議は六時半に終わった。そのあと料亭で接待。二次会はバーでスコッチのシングルモルト。客をホテルに送っていって、やっと解放された。
  そして、私は、いま、この最終電車に乗っているというわけだ。
 そういうわけで私もたいへんに疲れている。したたか酔ってもいる。ぐるり電車の中をながめる。全員が座っている。本を読んでいる者はいない。数人がスマホをいじっている。ほとんどが座席にぐったりと腰かけて目を閉じている。みんな疲れているんだな。
 隣りに座った男は、居眠りというレベルではない。ぐっすりと熟睡している。
 私の肩に頭をもたれかけてきた。押し返そうと思ったがやめた。ずいぶん疲れているようだ。私の肩を自宅の枕と思って眠っているのだろう。平安な顔をして安心しきって目を閉じている。
お疲れのご様子だな。ご同輩。そういいたくなった。この人も私と同じ、仕事で疲れているんだ。
 おこすのが気の毒になってきた。このままにしておこう。私の肩でよければ疲れを癒やすのに使ってもらっていい。
 一駅めに電車は着いた。この人はここで降りるのだろうか。もしそうなら起こしてやるのが親切だ。
 起こしてやるべきか。私の肩でじつに気持ちよさそうに熟睡している。起こすのは気の毒だ。この人がどの駅で降りるのか私には判らない。ねすごしたとしても私の責任ではないだろう。
 疲れている時の電車での居眠りほど快楽なモノはない。できればこのままずっと、ここでねこんでいたい。環状線でないかぎり電車は必ず止まる。そこではイヤでも電車を降りなくてはならない。
 一駅目、二駅目も過ぎた。次は私が降りる駅だ。
 となりの頭はまだ私の肩にある。降りるためには起こさなくてはならない。
 線路ばたのパチンコ屋の看板が見えてきた。今はネオンを消しているが、目立つ看板だから夜目にもよく判る。この看板を目安にしていて、二駅目から私の降りる駅のちょうど中間地点だ。あと数分で電車は到着する。いつもは読んでいる本にしおりを挟んで閉じてバックにしまう。
 いまは本は読んでいない。読む気力はない。私も疲れているのだ。尻を座席からはなしたくない。できれば私の身体全体が座席に吸いこまれたい。
 電車は進む。ほどなく私が降りるべき駅だ。さて、どうする。 私が降りるにはお隣さんを起こさなければならない。気の毒だ。それに私自身も可能ならば、このままここに座っていたい。
 どうする。車掌がほどなく私が降りる駅に到着するアナウンスをした。電車が減速しはじめた。
 ええい。こいつが起きるまで肩貸してやろう。どこで降りるのか知らないが、こうなりゃ最後までつきあってやるぞ。
 はっと気がついた。私もねこんでしまったようだ。まだ肩に重みがある。
 ここはどこだ。見知らぬ駅だ。終着駅か。この路線の電車は毎日乗っているが、終着駅まで来たことはない。いや、違う。一度だけ来たことがあった。今から数年前の冬だ。忘年会で飲み過ぎた。ぐでんぐでんになって、電車の中で酔いつぶれてしまった。ハッと気がついたら終点だった。酔眼朦朧とした目で見た終着駅の風景をうっすら覚えている。
 この駅はあの時の駅とは少し違うような気がする。いまは、疲れているが酔ってはいない。アルコールは入っているが酔ってはいない。しらふの目で駅を見る。
 隣りの男も目覚めたようだ。
「ご迷惑をかけたようですね。すみませんです」
「いえ。あなたはどこで降りるのだったのですか」
「芦山です」
 私が降りる駅だ。
「どうも、降りそこなったようですね。おたがい」
 電車の中を見る。この車両に六人乗っている。みんな乗り過ごしたようだ。この六人、私、隣の男。十六個の目がキョトキョトしている。
「ここはどこだ」
「終点じゃないのか」
「この電車の終点は梅沢じゃないのか。俺は梅沢は用事でよく来るがこんな駅じゃないぞ」
 そういえばおかしい。終着まで乗っている客がいれば車掌が降ろしに来るがはずが、来ない。駅のホームには駅員が一人もいない。
「おい、あれ」
 隣の男が指差した。駅名表示盤が見える。
「なんだあれは」

「昨夜深夜。 十二時三分。G電鉄梅沢行き最終電車が脱線転覆。乗客八名と乗員二名全員が死亡しました」