『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

吾妻からげ

2007年04月01日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』には、
平の塩の虚空蔵尊のお祭りのことが記されていたが、
それに続けて筠軒は、神社やお寺に参詣する際の女性の服装についても、
次のように記している。

農商家ノ婦女、神社佛閣ノ参詣、或ハ物見遊山ナドニテ外出ノ時ハ、
下着ノ單物(ひとえもの)ヲ餘(あま)シ、
上着ノ両妻(りょうづま)ヲトリテ帯ニ挟ム。
單衣(ひとえ)ヲ下着ニスルコト、常例ナリ。
夏モ一重帷子(ひとえかたびら)ナル以下ノモノハ、
脚布(きゃふ)計(ばか)リヲ垂テ、帷子ノツマヲ挾ム。
是ナン吾妻からげトイフニヤト、枕友ニ見ユ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

農家や商家の女性が、神社や佛閣に参詣する際、
あるいは物見遊山などに出掛ける際には、
下着はそのままにし、上着の両方の裾をたくし上げ、
それを帯に挟むというような出で立ちをする。
単衣物を下着に用いるのが普通だ。
しかし、夏には下着は付けないので、その場合には、
上着の裾をたくし上げ、腰巻だけを下げて外出する。
この出で立ちを「吾妻からげ」という。
このようなことが吉田定顕の著述『磐城枕友』に書いてある。

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