『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦10月  玄亥  亥の子祭り

2008年01月09日 | 伝説
大須賀筠軒(天保12(1841)~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の
陰暦10月の玄猪(玄亥)の項には、
次のような記述もあります。

玄猪 刈上ゲヨリ上ニアレバ、武家勝、百姓負トス。
九日ヨリ下ニアレバ、百姓勝、武家負ケトイフ。
玄猪ニハ餅ツカズ。
是日ノ晩ニ童子、手頃ナル石ヲ荒縄ニ結付ケ、
地上ヲツク。築礎ノ如ク、
一齊ニ唱ヘテ、
「ゐのこの晩に祝はんものは鬼んめ蛇んめ」
ト街上ニ囃シ戯ムル丶アリ。
是ハ安藤家ノ足軽以下ノ童男ノ戯レナリシトゾ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

玄猪 10月最初の「亥」の日
この「玄亥」の日が「刈上げ」祭りが行われる10月9日より前であれば、
武家の勝ち、百姓の負けとする。
9日より後であれば、百姓の勝ち、武家の負けとする。
玄猪には、餅はつかない。
この日の晩、子どもたちが程よい大きさの石を荒縄に結び付け、
胴突きのように地上を突いて歩く。
その際、子どもたちは声を揃え、
「亥の子の晩に祝わん者は、鬼んめ、蛇んめ」
と囃し立てる。
これは安藤家家臣の足軽以下の家の子どもたちが
戯れに行ったものと言われている。

なお、「玄亥」「亥の子」というのは、
物の本には、次のように説明されている。

旧暦10月(亥の月)の亥の日に行われる年中行事。
「玄亥」「玄猪」「亥の子」の祝い」「亥の子祭り」とも。
主に西日本で見られる。
この日に亥の子餅を作って食べ、万病除去、子孫繁栄を祈る。
また、子どもたちが地区の家の前で
地面を突いてまわることも行われる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰暦10月10日  もながし祝い | トップ | 陰暦10月15日  新酒の値段... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

伝説」カテゴリの最新記事