『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月15日 虫除けのまじない

2009年08月20日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月15日の項には、
次のような記述もある。

十五日 夜半ニ起キ、若水ヲ汲ミ、
小豆粥ヲ煮テ、餅ヲ添ヘ、
年神ニ供ヘ畢ツテ、神棚ノ注連ヲトリ除キ、
之ヲ宅地ノ惠方ヘ納ム。
主人ハ出テ田野ヲ巡リ、
ほういほういト鳥逐ヲ呼テ、暁ニ至ル。
又、宅内ノ注連飾リ、松榊等ヲ皆取リ集メ、
鳥小屋ヘヲクリ、火中ニ投ズ。
宵ニ自在鍵ヘ供ヘタル餅ヲ焼キ、燃木ヲ消シ、
二、三本ヅヽ持チ帰リ、味噌桶近キ所ニ置ク。
蛇ソノ外、惡氣ヲ除ク禁呪(マジナイ)ナリトイフ。
是日ヲ過グレバ、思ヒ思ヒニ若餅披キトテ、
親族ヲ招キアフ事ナリ。

これを現代的な表現に改めると次のようなものになるかと思う。

陰暦1月15日 夜半に起き、若水を汲み、
小豆粥を煮、それに餅を添えて、年徳神に供える。
その後、神棚の注連飾りを取り除き、
屋敷の恵方の方角に当たるところにお送りする。
家の主人は田や畑に行き、
「ほういほうい」と鳥追いの行事をする。
また、正月の注連飾りや松飾りなどを取り除き、
鳥小屋に持って行き、燃やす。
また、この日の夕方、
囲炉裏の自在鍵に供えておいた餅を焼く、
その際に用いた薪の燃え残りを二、三本持ち帰り、
味噌桶の近くに置いておく。
これは蛇などの虫に噛まれないためのまじないや
魔除けのまじないの意味合いがある。
この日以降、
それぞれの家で親族などを招きあい、
若餅開きの祝いを行う。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰暦1月14日 四倉の火打合い | トップ | 陰暦1月16日 悔始め »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小豆粥 (柳町)
2010-05-27 09:42:29
安藤家の伝承ごとを読みますと、安藤家では坂下門外の変の後、小豆粥の行事は廃止されたそうです。襲撃を企てていた輩たちは白雪の上に信正公の血が飛び散る様子を「小豆粥にする」と言っていたとか。先日家臣の子孫の数名に聞きましたところ、小豆粥の風習は昔からなかったそうです。家にも小豆粥の風習はありません。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

伝説」カテゴリの最新記事