天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月15日の項には、
次のような記述もある。
十五日 夜半ニ起キ、若水ヲ汲ミ、
小豆粥ヲ煮テ、餅ヲ添ヘ、
年神ニ供ヘ畢ツテ、神棚ノ注連ヲトリ除キ、
之ヲ宅地ノ惠方ヘ納ム。
主人ハ出テ田野ヲ巡リ、
ほういほういト鳥逐ヲ呼テ、暁ニ至ル。
又、宅内ノ注連飾リ、松榊等ヲ皆取リ集メ、
鳥小屋ヘヲクリ、火中ニ投ズ。
宵ニ自在鍵ヘ供ヘタル餅ヲ焼キ、燃木ヲ消シ、
二、三本ヅヽ持チ帰リ、味噌桶近キ所ニ置ク。
蛇ソノ外、惡氣ヲ除ク禁呪(マジナイ)ナリトイフ。
是日ヲ過グレバ、思ヒ思ヒニ若餅披キトテ、
親族ヲ招キアフ事ナリ。
これを現代的な表現に改めると次のようなものになるかと思う。
陰暦1月15日 夜半に起き、若水を汲み、
小豆粥を煮、それに餅を添えて、年徳神に供える。
その後、神棚の注連飾りを取り除き、
屋敷の恵方の方角に当たるところにお送りする。
家の主人は田や畑に行き、
「ほういほうい」と鳥追いの行事をする。
また、正月の注連飾りや松飾りなどを取り除き、
鳥小屋に持って行き、燃やす。
また、この日の夕方、
囲炉裏の自在鍵に供えておいた餅を焼く、
その際に用いた薪の燃え残りを二、三本持ち帰り、
味噌桶の近くに置いておく。
これは蛇などの虫に噛まれないためのまじないや
魔除けのまじないの意味合いがある。
この日以降、
それぞれの家で親族などを招きあい、
若餅開きの祝いを行う。
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月15日の項には、
次のような記述もある。
十五日 夜半ニ起キ、若水ヲ汲ミ、
小豆粥ヲ煮テ、餅ヲ添ヘ、
年神ニ供ヘ畢ツテ、神棚ノ注連ヲトリ除キ、
之ヲ宅地ノ惠方ヘ納ム。
主人ハ出テ田野ヲ巡リ、
ほういほういト鳥逐ヲ呼テ、暁ニ至ル。
又、宅内ノ注連飾リ、松榊等ヲ皆取リ集メ、
鳥小屋ヘヲクリ、火中ニ投ズ。
宵ニ自在鍵ヘ供ヘタル餅ヲ焼キ、燃木ヲ消シ、
二、三本ヅヽ持チ帰リ、味噌桶近キ所ニ置ク。
蛇ソノ外、惡氣ヲ除ク禁呪(マジナイ)ナリトイフ。
是日ヲ過グレバ、思ヒ思ヒニ若餅披キトテ、
親族ヲ招キアフ事ナリ。
これを現代的な表現に改めると次のようなものになるかと思う。
陰暦1月15日 夜半に起き、若水を汲み、
小豆粥を煮、それに餅を添えて、年徳神に供える。
その後、神棚の注連飾りを取り除き、
屋敷の恵方の方角に当たるところにお送りする。
家の主人は田や畑に行き、
「ほういほうい」と鳥追いの行事をする。
また、正月の注連飾りや松飾りなどを取り除き、
鳥小屋に持って行き、燃やす。
また、この日の夕方、
囲炉裏の自在鍵に供えておいた餅を焼く、
その際に用いた薪の燃え残りを二、三本持ち帰り、
味噌桶の近くに置いておく。
これは蛇などの虫に噛まれないためのまじないや
魔除けのまじないの意味合いがある。
この日以降、
それぞれの家で親族などを招きあい、
若餅開きの祝いを行う。