『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦10月20日  恵比須講

2008年01月15日 | 伝説
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦10月20日の項には、
次のような記述があります。
恵比寿講(恵比須講、戎講、蛭子講とも)についての記述だ。

二十日 蛭子講、正月二十日ニ異ナラズ。
是月、諸神出雲國大社ヘ行タモフ。
故ニ神無月トイフ。
惟、蛭子、竃神、山ノ神バカリ留守シタモフトテ、
蛭子講ノ外ニ餅ヲ搗キ、山ノ神ヲモ祭ルナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

陰暦10月20日 蛭子講が行われる。
内容は正月20日の蛭子講と同じだ。
10月には、神様が出雲大社に行かれるので、
この月を神無月と言う。
ただし、蛭子と竃神、山ノ神は出雲に行かず、
留守番をしているので、蛭子をお祭りするだけでなく、
餅をつき、山ノ神様もお祭りする。
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