『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月4日  棚さがし

2008年08月11日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月4日の項には、
次のような記述がある。「棚さがし」に関するものだ。

四日 棚さがしトテ、
朝、神棚ヘ供ヘタル餅ヲトリ卸シ、
味噌ヲ塗リ、田楽トシ食フ。
城下ハ壱甼内毎ニ家々ノかいしき紙ヲ集メ、
かいしき紙トハ神棚ヘ供ヘシ餅ノ下ヘシキシ紙ノ事ヲイフナリ。
之ヲ回リ壱尺以上ノ竹ノサキニ結ビ付ケ、
大ぼんでん二本ヲ作ル。
又、青、赤、白ノ紙ニテ馬追ぼんでん壱本ヲ作ル。
之ヲ甼内ニ立テ、十四日ニ至ル。
是ハとんどノ用意ナリ。
とんどノ事、下ニ見ユ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月4日 この日の朝、
「棚さがし」といって、
正月のために神棚にお供えした餅を下ろし、
それに味噌をからめ、焼いて、田楽にして食べる。
磐城平城下では、町内毎に
「かいしき紙(神棚などにお供え物をあげる際、お供え物の下に敷く紙)」を
集め、
これを幹回り30センチメートル以上の太さに竹の先に結び付け、
大梵天(だいぼんてん)を2本作る。
また、それ以外に青、赤、白の紙で
「馬追梵天」と呼ばれる梵天も1本作る。
これらの梵天は町内に立てて置く。
これは正月14日に行われる
「どんと(とんど いわきでは、いわゆる鳥小屋行事のことをさす)」
のための準備である。
「どんと(とんど)」のことについては、
また後の項で書き記すこととする。
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