『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月3日または4日  水祝儀 水掛け 水祝い

2008年07月23日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月3日または4日の項には、
次のような記述がある。「水祝儀」に関するものだ。

三日又ハ四日 市人、水祝ノ宴アリ。
昨年婚嫁セシ者、親類縁者ヲ招キ、水ヲ賀ス。
 按ニ、水祝トハ、去年新ニ娶(メトリ)シ男ニ水ヲカケシナリ。
是事、今ハナシ。
磐前郡中ノ作ナドニハ、近キ頃マデ墨(スミ)塗(ヌ)リトテ、
新婚セシ者ノ顔ヘ墨ヲ塗リシ戯アリシ。
水ヲカクルト相似タル事ナリ。
貝原氏云フ、水ヲカクル事ハ永禄ノ頃、
阿波ノ三好ガ家臣松永彈正ガ姪女ヲ
我家ノ寵臣ニ妻(メ)アハセシヨリ、此戯ヲナシ初メント。
サレバ、戰國餘習ノ悪戯ニテ、徃々口論争闘ニ及ブ。
是、豈祝儀ト為スベキ事ナランヤ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

三日又は四日 城下の人々は、水祝の宴を催す。
これは前年に嫁を娶った者が親類や縁者を招き、
水を酌み交わしてお祝いをするというものである。
 いろいろ考えると、
水祝というのは、前年に嫁を娶った男に水を掛けるというのが
元々のかたちである。
しかし、このようなことは、今は行われていない。
ただし、いわきの中ノ作などでは、最近まで墨塗りといって、
新婚の者たちの顔に墨を塗るということが行われていた。
水を掛けるのと同じような意味を持つものである。
貝原益軒によれば、
水を掛けるというのは永禄年間の頃、
阿波の三好氏の家臣、松永彈正が
姪娘を臣下に嫁がせた時に始まったということである。
もし、そうだとすれば、水掛けや水祝いは
古く戦国時代から行われているということなる。
しかし、水掛けがきっかけで、
口喧嘩や争いになってしまうこともあり、
このような風習をお祝いだとばかりは言っていられない。
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