『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月4日  姑入り

2008年08月13日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月4日の項には、
次のような記述がある。「姑入り」に関するものだ。

四日 農家ハ姑入(シウトイリ)ト唱ヘ、
夫婦ヅレニテ舅家ヘ年礼ニ行ク。
大ナル熨斗(ノシ)餅二枚、白米、樽肴、
分限相応ニ取持セ、
貧シキ者ハ、夫ハ樽肴ヲカタゲ、
婦ハ米、餅ヲ提ゲ、小兒ヲ抱負ナドシテ行ク。
遠近ユキカヒ多シ。
舅家ニテ節會(セチヱ)ノ饗応アリ。
彼熨斗餅、下重ネ一枚ヲ舅家ニ留メ、上重ネハ婿持帰ル。
婦ハ一宿シテ、翌日帰ル。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月4日
農家では、この日を「姑入」の日とし、
夫婦連れで配偶者の実家へ年始の挨拶に行く。
その際には、大きなのし餅を2枚、
さらには白米や酒の入った樽、御馳走などを
分相応に用意し、持参する。
使用人などのいない家では、
夫自らが酒や御馳走を持ち、
また、婦人も米や餅を持ち、子どもを抱いたり、
背負ったりして実家に赴く。
そのため、この日には行き交う人が多い。
実家では御馳走が振舞われる。
なお、持参したのし餅のうち、
下に重ねる大きな餅の方は実家が貰うが、
上に重ねる小さな方の餅は夫が持ち帰る。
婦人は一泊して、翌日、家に帰る。
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