『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦8月1日 飯野八幡宮流鏑馬ならし 

2007年09月25日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦8月朔日(ついたち 1日)の項には、次のような記述がある。

朔日 飯野八幡社前ニ流鏑馬ナラシノ走リ乗リアリ。是月十五日例祭ナルヲ以テナリ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦8月1日 旧暦8月15日には飯野八幡宮の例祭が挙行されるが、その際には流鏑馬(やぶさめ)も行われる。それに向け、この日、飯野八幡宮で馬の馴らし乗りが行われる。

「流鏑馬」というのは、ご存知の方も多いと思うが、ものの本には次のように書かれている。

騎射の一。綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、弓懸(ゆがけ)、弓籠手(ゆごて)、行縢(むかばき)を着けた狩り装束の射手が馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)で木製方形の3つの的(まと)を射るもの。平安後期から鎌倉時代にかけて盛んに行われ、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおうもの)とともに騎射三物(きしゃみつもの)の一。現在、各地の神社で神事として残る。
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