『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦8月1日 長源寺施餓鬼供養  

2007年09月26日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦8月朔日(ついたち 1日)の項には、次のような記述がある。

平胡麻澤長源寺ニ施餓鬼ノ執行アリ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦8月1日には、平胡麻沢の長源寺で施餓鬼供養が行われる。

「施餓鬼」というのは、餓鬼道(「六道」の一つ。「六道」というのは地獄道、畜生道、餓鬼道、修羅道、人間道、天上道のこと)に落ち、飢餓や渇きに苦しむ無縁仏や生類のために読経や供養などを行うこと(「施餓鬼会」)とある。

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1 コメント

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長源寺施食会 (柳町の若隠居)
2007-10-02 18:21:00
現在曹洞宗では施餓鬼会を施食会と申します。
長源寺の大施食会は9月の2週目の日曜日。歳時民俗記に出てくる元忠の掛け軸も50余名の連牌も戦後の火災で焼失してしまいました。住職が読む施食会の回向文には伏見城での討死した家臣の供養の言葉は入っておりませんでした。開基として鳥居元忠の戒名と、鳥居家歴代精霊、徳川家歴代精霊(殿様ですから本来精霊はふさわしくないと思うのですが)が回向文に織り込まれているだけです。戊辰戦争の後、急速に寺勢が失われ、先代住職によって復興されたこの寺ですから、現在は曹洞宗の檀信徒の通常の施食会として執り行われております。(当家の菩提寺です)
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