『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦6、7月の間 奥参り その1  

2007年08月01日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月の項には、次のような記述がある。湯殿山参詣(「奥参り」)についての記述だが、長文に及ぶので、これから何回かに分けて紹介する。
まずは1回目。

六、七月ノ間、出羽國湯殿山ヘ參詣ノモノ多シ。之ヲ奥參リトイフ。湯殿山ハ四月八日、山開キ、八月八日マデノ行山ナリ。毎村ニ行屋ト称スル一宇ノ堂舎アリ。村人、別火、潔斎ノ為メニ設タルモノナリ。

これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。

旧暦6、7月には、出羽国の湯殿山に参詣するものが多い。これを「奥参り」という。湯殿山は旧暦4月8日に山開きが行われ、旧暦8月8日までが「奥参り」の期間になっている。それぞれの村には「行屋」と呼ばれる建物があり、「奥参り」をしようとする者たちが、ここに籠もり、別火による潔斎を行う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧暦7月18日 平の馬鹿市   | トップ | 旧暦6、7月の間  奥参り ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事