『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦6、7月の間  奥参り その2  

2007年08月03日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、前回に引き続き、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月の項にある湯殿山参詣についての記述を取り上げる。

奥參リセント思フ者ハ、一七日ノ行(ギヨウ)ヲ為ス事ナリ。一日ニ水垢離三回トス。始メテ參ル者ヲ新客トイフ。新客ハ九日ノ行ナリ。行ニカヽルヲ「火にあかる」トイフ。初日ヲ胴拂トイフテ、蒸タル物バカリヲ食ス。第二日ハ火食セズ。第三日ヨリ煮調タル物ヲ食ス。

これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。

その年、「奥参り(湯殿山参詣)」をしようと思う者は、7日間の「行」を行う。1日に水垢離を3回とる。始めて「奥参り」するものを特に「新客」という。「新客」は9日間、「行」を行う。「行」を行うことを「火にあかる」ともいう。初日を「胴払い」といって、蒸した物だけを食べる。第2日目は食事をせず、第3日目から煮た物のみを食べる。
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