フランス
2009.01.29(木)
10日滞在したシュツットガルトに別れを告げる時が来た。
次の目的地はバルセロナ、スペインである。
ユーレイルパスを使って陸路を鉄道で移動するので時間がかかるために出発は早朝、着は夜という日程だ。
直通便がないために接続が面倒でシュツットガルト→マンハイム(ここまでドイツ)→パリ(東駅→リヨン駅はバス)→ペルピニャン(ここまでフランス)→バルセロナと4回も乗り継ぎをしなければならない。仕事道具も分担して運ぶので荷物の多さも厄介だ。
さらに悪い事にはフランスのストライキの日にぶち当たってしまっている。
シュツットガルトから我々と別れてパリに行っていたリーダー達はそこから昨日の夜行でバルセロナに行き、我々と合流という手筈だったがその夜行も早速運休となっている。
あまりいい状況とは言い難いが、まあここはアフリカではない。何とかなるだろう・・・
素晴らしかったホテルの朝食のビュッフェを泣く泣く諦めて残りのメンバーである我々7人は0500時にホテルをチェックアウトする。
トラムに乗ってシュツットガルトの中央駅へ。
0550時、ICE(ドイツ版超特急)にのってマンハイムへは0620時。
0640時、ここでさらにICEパリ東駅行きに乗ってパリへは1000時着。
15年ぶりに見たパリ東駅。綺麗に改装されていた。
ストライキの影響がありメトロ(地下鉄)は運休していたがリヨン駅行きの市バスには影響は出ていない。
リヨン駅に首尾よく到着して、乗る鉄道を探す。
我々の乗る列車はホームに待機しており、どうやら問題は無さそうだ。
パリ・リヨン駅とその前の広場
1100時初のフランスTGV(フランス版超特急)は幾度か放送が流れ、発車するのかどうか?少しやきもきさせられたが20分程遅れて無事に出発。取り敢えずは一安心である。
4時間ぐらいたったのだろうか?モンペリエと言う駅で急に周りの乗客全てが降りていく。我々の接続駅はペルピニャン、まだしばらくはこれに乗っていないと駄目なはずだが・・・
フランス語を解する我々のメンバーが確認するとこの列車はここで打ち止め、乗り換えなければいけないということだ。
慌てて荷物を取っており、乗り換える列車に向かう。
それにしても放送が仏語だけなので理解できないのが痛い。
乗り換えた列車はペルピニャン手前のナルボンヌでストップ。時間は1700時。
駅の係りに確認すると我々の向かうペルピニャンへはここからは代替のバスになるらしい。
到着したナルボンヌ駅
代替のバスを待つ間に既に先発していたリーダーと他のメンバーからの情報がはいってくる。
バルセロナへ行くにはペルピニャンから今日の便はバスも含めてなくなっているらしく、国境に最寄のセルベーレに行った方が良いという事だ。駅の係りもセルベーレへ行って国境を渡ってスペイン側のポールボーへ行く事を勧めている。
先発組みは3人、キャプテンともう一人はバルセロナの宿に早く着かなければならなく(借りるのがアパートメントタイプであり夜9時以降に到着となると違約金?が発生するらしい)、また幸いに有料ヒッチを見つけたらしいのでペルピニャンから既に出発。残りの一人はセルベーレへ向かったとの事だ。
我々はこの2つの進言に従ってペルピニャンではなくセルベーレまで行く事に決める。首尾よく先発しているメンバー(以下エヌ)と合流できる可能性もあるし、幸い代替のバスはペルピニャン行きだけでなくセルベーレ行きも出ているので問題は無さそうだ。
代替バスの出発は1800時、セルベーレまでここから2時間、そしてさらにそこからバルセロナまで約3時間。乗り継ぎに時間がかかるとしてもまだ今日中にバルセロナに到着する望みはある。
セルベーレ行きのバスは1800予定だった物の遅れて1900時頃に出発。これで今日中に到着という望みも大分薄くなってきた。
バスに乗っている最中、エヌから連絡が入る。
曰く「セルベーレには何もない、バスも厳しい」
と・・・
だが、我々はもう止まる事も出来なくなっている。
エヌからまた連絡が入り彼の方は15人くらいバルセロナへ向かいたがっている他の人がいたのでバスを全員でチャーターして出発したという話だ。
我々のバスは2100時にセルベーレへ到着。
降りてみてビックリ。確かに何も無い・・・
先ず鉄道駅へ向かうも便は翌朝しかない。鉄道での移動を即座に諦める。次の案はタクシーだ。
タクシーでスペイン側に渡ってそこでバルセロナ行きの便を探すしかないだろう。
とりあえず電話をして待つ。
だがタクシーは来ない。そうこうしている内に時間だけ経過していく。
時間は2200時を回っている。
ここで泊まる事もオプションに入ってきてホテルを探してみるも全てクローズ。
これでは打つ手が無い・・・
再度タクシー会社に電話してみるとフランスのタクシー会社は国境を越えられない事が判明。
隣の町まで4kmぐらいだが荷物の多い今歩いていくのは論外だ。
その会社がスペイン側のタクシー会社の番号を紹介してくれたのでそこにも掛けてみたのだが・・・
何故かバルセロナのタクシー会社。こんな夜中に3時間もかけてくるわけも無く。タクシーはこれで完全にギブアップ。
時間はなんだかんだでもう2300時を過ぎている。
南仏とは言え夜は冷える。このままバス停で待ち続けるのも難儀である。
セルベーレ到着したバス停付近。
セルベーレの全景。こうしてみると少しはやりそうだが・・・でも何も無い。
となると・・・
我々は最終手段として駅で宿泊して翌朝の便でスペインへ向かう事を決意する。
ビジネスで来ているので宿泊すれば宿泊費用は出るのだが、ホテルが一軒も無ければ泊まりようもない。
ここに来る途中に通過したペルピニャンならバス越しにホテルがばんばん開いているのを目にしていた物のここから1時間かけて戻るのも億劫だし戻ったところで翌朝早く出発になる。そして何よりも戻る交通手段は皆無だ。
荷物を持って駅へ上がる。
駅員の善意もあって待合室へ泊まる事が出来、何とか夜露をしのげる態勢とはなったのだが・・・
ヨーロッパにビジネスで来て駅の待合室で野宿。
このエレガントなプロフェッショナルとしたことが・・・
これでは“まるでバックパッカー”であるかの様である・・・
2009.01.29(木)
10日滞在したシュツットガルトに別れを告げる時が来た。
次の目的地はバルセロナ、スペインである。
ユーレイルパスを使って陸路を鉄道で移動するので時間がかかるために出発は早朝、着は夜という日程だ。
直通便がないために接続が面倒でシュツットガルト→マンハイム(ここまでドイツ)→パリ(東駅→リヨン駅はバス)→ペルピニャン(ここまでフランス)→バルセロナと4回も乗り継ぎをしなければならない。仕事道具も分担して運ぶので荷物の多さも厄介だ。
さらに悪い事にはフランスのストライキの日にぶち当たってしまっている。
シュツットガルトから我々と別れてパリに行っていたリーダー達はそこから昨日の夜行でバルセロナに行き、我々と合流という手筈だったがその夜行も早速運休となっている。
あまりいい状況とは言い難いが、まあここはアフリカではない。何とかなるだろう・・・
素晴らしかったホテルの朝食のビュッフェを泣く泣く諦めて残りのメンバーである我々7人は0500時にホテルをチェックアウトする。
トラムに乗ってシュツットガルトの中央駅へ。
0550時、ICE(ドイツ版超特急)にのってマンハイムへは0620時。
0640時、ここでさらにICEパリ東駅行きに乗ってパリへは1000時着。
15年ぶりに見たパリ東駅。綺麗に改装されていた。
ストライキの影響がありメトロ(地下鉄)は運休していたがリヨン駅行きの市バスには影響は出ていない。
リヨン駅に首尾よく到着して、乗る鉄道を探す。
我々の乗る列車はホームに待機しており、どうやら問題は無さそうだ。
パリ・リヨン駅とその前の広場
1100時初のフランスTGV(フランス版超特急)は幾度か放送が流れ、発車するのかどうか?少しやきもきさせられたが20分程遅れて無事に出発。取り敢えずは一安心である。
4時間ぐらいたったのだろうか?モンペリエと言う駅で急に周りの乗客全てが降りていく。我々の接続駅はペルピニャン、まだしばらくはこれに乗っていないと駄目なはずだが・・・
フランス語を解する我々のメンバーが確認するとこの列車はここで打ち止め、乗り換えなければいけないということだ。
慌てて荷物を取っており、乗り換える列車に向かう。
それにしても放送が仏語だけなので理解できないのが痛い。
乗り換えた列車はペルピニャン手前のナルボンヌでストップ。時間は1700時。
駅の係りに確認すると我々の向かうペルピニャンへはここからは代替のバスになるらしい。
到着したナルボンヌ駅
代替のバスを待つ間に既に先発していたリーダーと他のメンバーからの情報がはいってくる。
バルセロナへ行くにはペルピニャンから今日の便はバスも含めてなくなっているらしく、国境に最寄のセルベーレに行った方が良いという事だ。駅の係りもセルベーレへ行って国境を渡ってスペイン側のポールボーへ行く事を勧めている。
先発組みは3人、キャプテンともう一人はバルセロナの宿に早く着かなければならなく(借りるのがアパートメントタイプであり夜9時以降に到着となると違約金?が発生するらしい)、また幸いに有料ヒッチを見つけたらしいのでペルピニャンから既に出発。残りの一人はセルベーレへ向かったとの事だ。
我々はこの2つの進言に従ってペルピニャンではなくセルベーレまで行く事に決める。首尾よく先発しているメンバー(以下エヌ)と合流できる可能性もあるし、幸い代替のバスはペルピニャン行きだけでなくセルベーレ行きも出ているので問題は無さそうだ。
代替バスの出発は1800時、セルベーレまでここから2時間、そしてさらにそこからバルセロナまで約3時間。乗り継ぎに時間がかかるとしてもまだ今日中にバルセロナに到着する望みはある。
セルベーレ行きのバスは1800予定だった物の遅れて1900時頃に出発。これで今日中に到着という望みも大分薄くなってきた。
バスに乗っている最中、エヌから連絡が入る。
曰く「セルベーレには何もない、バスも厳しい」
と・・・
だが、我々はもう止まる事も出来なくなっている。
エヌからまた連絡が入り彼の方は15人くらいバルセロナへ向かいたがっている他の人がいたのでバスを全員でチャーターして出発したという話だ。
我々のバスは2100時にセルベーレへ到着。
降りてみてビックリ。確かに何も無い・・・
先ず鉄道駅へ向かうも便は翌朝しかない。鉄道での移動を即座に諦める。次の案はタクシーだ。
タクシーでスペイン側に渡ってそこでバルセロナ行きの便を探すしかないだろう。
とりあえず電話をして待つ。
だがタクシーは来ない。そうこうしている内に時間だけ経過していく。
時間は2200時を回っている。
ここで泊まる事もオプションに入ってきてホテルを探してみるも全てクローズ。
これでは打つ手が無い・・・
再度タクシー会社に電話してみるとフランスのタクシー会社は国境を越えられない事が判明。
隣の町まで4kmぐらいだが荷物の多い今歩いていくのは論外だ。
その会社がスペイン側のタクシー会社の番号を紹介してくれたのでそこにも掛けてみたのだが・・・
何故かバルセロナのタクシー会社。こんな夜中に3時間もかけてくるわけも無く。タクシーはこれで完全にギブアップ。
時間はなんだかんだでもう2300時を過ぎている。
南仏とは言え夜は冷える。このままバス停で待ち続けるのも難儀である。
セルベーレ到着したバス停付近。
セルベーレの全景。こうしてみると少しはやりそうだが・・・でも何も無い。
となると・・・
我々は最終手段として駅で宿泊して翌朝の便でスペインへ向かう事を決意する。
ビジネスで来ているので宿泊すれば宿泊費用は出るのだが、ホテルが一軒も無ければ泊まりようもない。
ここに来る途中に通過したペルピニャンならバス越しにホテルがばんばん開いているのを目にしていた物のここから1時間かけて戻るのも億劫だし戻ったところで翌朝早く出発になる。そして何よりも戻る交通手段は皆無だ。
荷物を持って駅へ上がる。
駅員の善意もあって待合室へ泊まる事が出来、何とか夜露をしのげる態勢とはなったのだが・・・
ヨーロッパにビジネスで来て駅の待合室で野宿。
このエレガントなプロフェッショナルとしたことが・・・
これでは“まるでバックパッカー”であるかの様である・・・