イエメンには3つある世界遺産のほかに
「天空に架かる橋」
というものが存在する。
人づてに伝聞した話では「世界遺産以上の衝撃があった」ということだ。
ここはこの東城、「プロフェッショナル」を名乗るからには見逃すことの出来ないポイントである。
ここへのアクセスはイエメン北部の政情不安定ということもあり、現在はツアーでしか行くことが出来ず、そのツアーの料金は大体全員合わせて160US$ぐらいからが相場らしいと事前に情報を入手していたので、首都のサナアに到着すると同時に早速人を探し始める。
サナアにはマナハホテルという日本人旅行者が良く宿泊する宿があり、そこに拠点を構えて手当たりしだいに当たっていくと直に2人、すでに計画して人を集めていた物と首尾よく接触することが出来た。
こいつは2つの意味でラッキーである。
私から先頭切って人を集める必要も無くなり、すでにツアーのことも調べ上げていたので私が今回の任務の始めに編み出した「スリップストリーム旅行法(コバンザメ旅行法や寄生虫旅行法と似ているが、格好いいネーミングで自らの手抜っぷりをオブラートに包んだデューク東城が編み出した全く新しいタイプの旅行法である)」を応用する願っても無いチャンスである。
何の迷いも無く、最初に人集めをしていた「ミスターストロング(日系日本人・仮称)」氏に全権を委任し、ただ待つだけという御大層な身分に身を置く事が出来た。
明けて2日後、ツアーには総勢五人の日本人、男性4名に女性1名の「チーム天空の橋」が編成された。当然の事ながら我々の意気込みは「ハンパでは無く」、まだ見果てぬ「天空の橋」に期待に胸躍らせながらの出発となった。
道中でスーラ、アムランの2つの古都に立ち寄り、順調に「チーム天空の橋」は足音を刻んでゆく、途中までは舗装路だったがそれも近づくにつれ未舗装に変わり、山岳地帯へ突入、遥か彼方に見える山頂に芥子粒のように見えている町がシャハラと聞かされ、さらに気持ちが盛り上がってくる。
麓の町に1600頃に到着、どう考えても車では行けないだろうという山道を現地人の運転する4WDで登っていく、標高が高くなるにつけ景色は凄みを増し、遠くにかすかに「天空の橋」も目に入り、我々の鼓動は張り裂けんばかりに高まっていった。
山頂にあるシャハラの町に1730到着、1日移動した疲れも感じる事無く早速「天空の橋」を拝みに行く。
ホテルから徒歩10分ほど、この角を曲がれば橋の全景を見ることが出来る...
先頭を切って歩いていた者が橋を発見して声を上げる。
「あれぇ~!!」
「...」
いやいやそこは違う声を上げるところでしょう。「おおおお・・・!!」とかではないのでしょうか??
我々は訝しがりながらも橋を見える位置に接近、橋の全貌が明らかになった今....、我々の中に一つの共通した叫びが湧き上がっていた。
「あれぇ~!!」
「...」
なんと言えば良いだろうか、
ここに至るまでのプロセスは完璧だった筈だ、しかし....
料理のフルコースに例えて言えば、食前酒は完璧、前菜も鮮やかな彩を沿え、いよいよほんちゃんのメインディッシュに移ったときに出てきたのは「サラダバー」だったと言った所であろうか...。
「確かに橋は悪くない」
しかしここに至るまでのプロセスやその気持ちの盛り上がりを考えると「それを受け止める力が不足している」のである。
さらに言うなら、この話に何の関係も無いが「フルコースの料理等、生まれてこの方一度も食してない」ので「例えが適切であるかどうかは不明」と付け加えておこう。
翌日、ホテルを出てサナアに戻る途中、私は去りゆく橋を脳裏に焼き付けながらこう思った。
「橋をメインに考えた我々の敗北であろう...」
と
写真はシャハラに行く途中の休憩所で見かけたイエメン人、カラシニコフという小銃が出回る中、AR-15という珍しいタイプのライフルを持っていた。
「天空に架かる橋」
というものが存在する。
人づてに伝聞した話では「世界遺産以上の衝撃があった」ということだ。
ここはこの東城、「プロフェッショナル」を名乗るからには見逃すことの出来ないポイントである。
ここへのアクセスはイエメン北部の政情不安定ということもあり、現在はツアーでしか行くことが出来ず、そのツアーの料金は大体全員合わせて160US$ぐらいからが相場らしいと事前に情報を入手していたので、首都のサナアに到着すると同時に早速人を探し始める。
サナアにはマナハホテルという日本人旅行者が良く宿泊する宿があり、そこに拠点を構えて手当たりしだいに当たっていくと直に2人、すでに計画して人を集めていた物と首尾よく接触することが出来た。
こいつは2つの意味でラッキーである。
私から先頭切って人を集める必要も無くなり、すでにツアーのことも調べ上げていたので私が今回の任務の始めに編み出した「スリップストリーム旅行法(コバンザメ旅行法や寄生虫旅行法と似ているが、格好いいネーミングで自らの手抜っぷりをオブラートに包んだデューク東城が編み出した全く新しいタイプの旅行法である)」を応用する願っても無いチャンスである。
何の迷いも無く、最初に人集めをしていた「ミスターストロング(日系日本人・仮称)」氏に全権を委任し、ただ待つだけという御大層な身分に身を置く事が出来た。
明けて2日後、ツアーには総勢五人の日本人、男性4名に女性1名の「チーム天空の橋」が編成された。当然の事ながら我々の意気込みは「ハンパでは無く」、まだ見果てぬ「天空の橋」に期待に胸躍らせながらの出発となった。
道中でスーラ、アムランの2つの古都に立ち寄り、順調に「チーム天空の橋」は足音を刻んでゆく、途中までは舗装路だったがそれも近づくにつれ未舗装に変わり、山岳地帯へ突入、遥か彼方に見える山頂に芥子粒のように見えている町がシャハラと聞かされ、さらに気持ちが盛り上がってくる。
麓の町に1600頃に到着、どう考えても車では行けないだろうという山道を現地人の運転する4WDで登っていく、標高が高くなるにつけ景色は凄みを増し、遠くにかすかに「天空の橋」も目に入り、我々の鼓動は張り裂けんばかりに高まっていった。
山頂にあるシャハラの町に1730到着、1日移動した疲れも感じる事無く早速「天空の橋」を拝みに行く。
ホテルから徒歩10分ほど、この角を曲がれば橋の全景を見ることが出来る...
先頭を切って歩いていた者が橋を発見して声を上げる。
「あれぇ~!!」
「...」
いやいやそこは違う声を上げるところでしょう。「おおおお・・・!!」とかではないのでしょうか??
我々は訝しがりながらも橋を見える位置に接近、橋の全貌が明らかになった今....、我々の中に一つの共通した叫びが湧き上がっていた。
「あれぇ~!!」
「...」
なんと言えば良いだろうか、
ここに至るまでのプロセスは完璧だった筈だ、しかし....
料理のフルコースに例えて言えば、食前酒は完璧、前菜も鮮やかな彩を沿え、いよいよほんちゃんのメインディッシュに移ったときに出てきたのは「サラダバー」だったと言った所であろうか...。
「確かに橋は悪くない」
しかしここに至るまでのプロセスやその気持ちの盛り上がりを考えると「それを受け止める力が不足している」のである。
さらに言うなら、この話に何の関係も無いが「フルコースの料理等、生まれてこの方一度も食してない」ので「例えが適切であるかどうかは不明」と付け加えておこう。
翌日、ホテルを出てサナアに戻る途中、私は去りゆく橋を脳裏に焼き付けながらこう思った。
「橋をメインに考えた我々の敗北であろう...」
と
写真はシャハラに行く途中の休憩所で見かけたイエメン人、カラシニコフという小銃が出回る中、AR-15という珍しいタイプのライフルを持っていた。