目を逸らして 何が出来る?




    (世界経済の収縮)をノーベル賞の経済学者や首相は認識して政策の変更をするようだが 本当に現状の事実として認識しているなら ことは 日本の消費税に留るものではない。

   ≪経済成長≫を国家の最大の目標に掲げている日本をはじめ世界の国々は前提が崩れるれのだから 政策全体の見直しが必要になる。

    日本も世界もそんな動きは全く無い。 情報や知識で目を覆い 現状の事実や知恵から目を逸らし続けるこの社会。 

     
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 「天命を待つ」か?





世界にとって テロは 放っておけない重大な問題であるこは間違いないが 今(国際社会)がやっている対策が功を奏すると思っている人はどれだけいるだろう?

    経済 紛争 教育 環境 何れの問題も 国家的・国際的に政策をもってしても 改善しているようには見えない。 何故だろう?

   論理的には 政策は仮設実験の仮説に当たるから 仮説自身が論理的にが間違っているからに他ならない。

    問題の因果が捉えられていないことを多くの人は感じている。 感じてはいても その内容は 情報化されず 政策や対策に繋がらないままでいる。

    社会は 事実や論理や知恵を顧みず 天命を待つかのようだ。

   

   
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補完無しの民主主義





今時、「民主主義」を理想としても否定する人や団体は無いかもしれないが、 果たして 「民主主義」は良いものだろうか?

    多数の支持者がいて権力を握り物事を決定するのだが、そこで生じた問題の解決法を見出すのは はじめから多数ではない。

 解決法は少数の認識から始まり それが多数者になるまでは 時間はかかり 問題解決は 出来ない。

 現在の世界や日本も言えそうだが これが民主主義の避けられないものだとしたら 当初の疑問に至り付くのは 当然かもしれない。

 何より民主主義のもとで現在の行き詰まり出口を見いだせず、 ナチスヒットラーが出たとすれば はじめから民主主義を補完する仕組みが必要だろう。
極端な言い方をすれば、 未来の答えは多数者より 少数者の中に紛れ込んでいる可能性が高く それを取り入れる仕組みがセットしてあって初めて民主主義は機能するのかもしれない。 現状はそうはなっていない。


   
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現状の態様





   指導者には失望しても 歴史を主導するのは≪現状の変化≫だろうから 無用な心配はいらない。

 報道は現状やその変化を認識できない指導者の言辞を追い 社会の実体と合致せず不安にもなるが 基本的に社会を動かすのは(思い)ではなく

現状やその変化そのもの。

   社会が情報の想定内で動けば良いのだが そうはなっていない今日 危機や犠牲も現状の一態様とし それを基に言辞や情報を見ることにしている。

その方が 社会を主導的に動かすものが何かが 解るような気がしてる。


 大河ドラマは 指導者の思いを中心に描いておりドラマとしては面白くても 科学的ではなく上記の視点とは異なる。
 

   

    

     

    
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解決の道理




世界経済の縮少・温暖化・絶滅危惧種の拡大・難民・昨日のブリュッセルのテロ…

   これらは 解決へ向かっているだろうどうか?

   何れも人間社会が生んだ問題だが 生む力と解決する力の大きさはどちらが大きいかは 結果を見れば分かる。

   国家的に内向きな国々は 国際的な問題解決には そもそもが不向きで、それが露呈されているようだ。

   模索しているとは言え、有効な手段を講じているとは言えない。

 多数が 解決策を失って生じた行き詰まりは 多数が少数派にもなれない少数あるいは個人に 耳を傾けられるかどうかにかかっている。

   現在は そういう時代で、今のやり方では 国際問題だけでなく国内問題の解決も難しい。

    一木一草に心を傾けられれる繊細なリーダーが必要な時 逆に権威を笠に着たリーダーを求める。人々もリーダーも大きな勘違いをしているようだ。  

    

    
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希望は どこから




今振り返ると 子供の頃 希望がいっぱいだった。

  あれは 時代のせいだと思っていた。

        あの希望は次第に薄れていった。
   
今は あの時とは違った もっと大きな希望が見え始めている。
  
   「希望は自分がつくる物」とも言われているから、半分は自分でつくり 半分は今の時代が造ってくれたかもしれない。

    
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暫くは 我慢だが




益川さんは 100年もすれば地上から戦争が無くなる、遅くとも200年すれば… と言う。
  自分は (気が短いから) ここでも 70~100年すれば… と 考えている。

    桜も咲き出し 天気も良く 床屋へも行って来たし これでへんてこりんなニュースと土砂降りのコマーシャルがが無かったら 体中スッキリするのに…

     しばらく(70~100年)は 我慢だが 地上のの変化を見落としさえしなければ 大丈夫 元気 元気! 。  


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美辞だけでは





今の世界は戦争経済とカジノ経済の印象があるが、行き詰まりの現状から時代遅れの感は ぬぐえない。

   大局的に危険を伴い合理性を欠いたこの経済や社会の仕組みは 不安定で転換せざるをえないが 主要国の中でも 日本のもたつきは目立つ。

    過去と権威への拘りからか 美辞で新しく装っても 時代の変化が 見えていないかのようだ。

         

   

   

    

    
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忙しくて大事なことが出来ない時代




世界も日本も 大人が子供のことを思えなくなるぐらい 大変な経済社会を作ってしまったようだ。

    源や本来を考える時間も なくなっているんだろうな。




   
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結局は自立




世界経済の「大低迷」が示すようにアメリカや世界は かつての威容や響きは無いにも関わらず、「原発の安全基準は世界1」と言うように 
何かと政府やマスコミは「世界」や「世界1」を基準にしたり目標にして煽る。

    世界の低迷や混乱は 時代の転換期がもたらしたもので、世界は共有している。この混乱や低迷から抜け出すことが大事なのであって 

迷っている者同士で比較していても出口は見つからない。今は 個人も国もマスコミも 自分の頭で考えないと通用しない時代で、 


格好つけながら寄りか かって喜んでいる場合ではない と思う。 
   
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