理想は価値観の如何にあるのでは?

歴史で「衆愚政治」登場したが、過去の遅れた時代の話だと思っていたが、

今 世界やどの国家の政治も全て 本物の「衆愚政治」として現れて来たかに見える。

民主主義の陥り易い政治体制だと思っていたが、権力主義においても、それは変わらないようだ。要するに「自然の理」に価値を見出せるかどうかに掛かってくる。今は、見当たらない。

世界が行き詰まっている今日 大切なのは 「自然の理」から導き出した「意味や価値」ではないのかな。

 

 

 

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本来の倫理や道徳を

こんな狭い地球に一緒にいながら、お偉いさん同士が会いもせず 話もしなとなれば、子供の喧嘩のようだ。

本当は逆で 本来仲良くしなくちゃいけない所が出来ない者同士は 人一倍仲良くする努力が必要だろう。それが本来の倫理であり道徳ではないのか。一部の人に都合の良い「倫理」や「道徳」は今一度、確認が必要か。

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争そってばっか‥・

世界全体をこれだけ傷めながら、「アッチが悪い」「コッチガ悪い」と罵り合っているが、あんまり感心した風景ではない。一緒になって墓穴を掘っているかのようだ。批判し争ってばかりいないで どうしたら良いか?と話し合ったら良いのに‥・ と思う。こんな状態は誰も望まないだろうに‥・

争いの果てに残るのは 幸福? 不幸? 間違いなく傷後は残る。

 

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結局はメディアとの関係か?

今後 世界はどうなるか?と不安を感じている人は 希望を持つ人と比べると圧倒的多いだろう。実際、人類の存否や安全を危惧される材料は 希望につながるものと比べて 圧倒的に多く山積している。しかし、80億全ての人間は この現実を身にまといながら、新聞やテレビなどのマスメディアの情報の基で管理され暮らしている。

世界の事態が良くなり安心できる状態ならまだしも、存否や安全を危惧し不安を増大させている現状に在って 情報の管理はより強化されている。

このマスメディアの現状認識の是非も問う力は 市民のメディアに対する読解力(リテラシー)の問題かもしれない。国語教育では 日本人の主体的な読解力不足は「伝統的」とも言われてる。(メディアをうのみにする傾向が強い。)

 

 

 

 

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