ハローワークへ行って思ったこと

午前中、八王子のハローワークに失業保険給付の書類を出してきた。
 待合室は溢れんばかりに、100人を超える人たちが私と同じ用件で来て順番を待っている。 20歳前後から私のように60才ぐらいまで年代に関係なく元気そうな人たちだ。カッコいい若者から、上品な紳士・淑女までが、職を探しているからなのか、気のせいなのか、誰もが不安を抱えているように見えた。
 日本中でこのように職探ししている人たちはどのぐらいいるのだろうか?もったいない感じがした。この人たちは仕事する体力も能力も意欲もあるだろう。それがこうして毎日、全国各地に溢れているにちがいない。
 この人たちは職が見つかっても、臨時職員や派遣社員フリーターは聞こえはいいが、昔で言えば(日雇い)(出面取り)(2こ4 =日当240円の意味    )である。学生アルバイトのようで不安定極まりない。
 私のお袋さんも長いこと農家の(日雇い)をしていたが、終戦後でも、今のようにはいなかったのではないか。現在、20~30歳代の半分は、(言葉に悪い響きもあるが)日雇いである。
 別に終身雇用や年功序列がいいとは思わないが、今の状態がいいとも思えない。このままでは、産業そのものが成り立たなくはならないかと心配になる。
 たとえ農業や手に職の仕事も、ロボットを使う高度なテクノロジーはまして、可也のの技術が求められる。技術は長時間かけて伝達されるもの。今日のような(即戦力)は言葉は格好いいが(使い捨て)ではないか。07年問題の団塊の世代が第一線を去るどころの話ではない。 まさに老いも若きも即戦力は構造的になってる。
 上から下までが目先のお金を追い求めている結果に違いない。
 要件を終えての帰り道、多摩丘陵や淺川のどこか生気のない風景と、道路いっぱいに走っている車を運転するウィンドウ越しに見える人の姿が、つながって見えた。
 自然も人も自然の回復力を持つ。この風景の中にも潜んでいるはずだが、今日は見えなかった。
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