艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

さよならを言う自分

2007年01月23日 01時13分51秒 | 個人日誌
 携帯電話を持ち始めた頃って「いかにたくさんの仲間と携帯でつながっているか」イコール「どれだけ着信あるか」ということを、今思うと自分はちょいと自慢していてようなところがあった。
 ところがここにきて「俺の着信履歴の古いのは去年の9月だよ」おかしなこと言ってる。そう言ってるのは自分だけじゃあないような気がするけど、今は「携帯なんかなくてもこんなにつながってる仲間がこれだけいる」ってことに誰もが重点置いた価値観を奮い出してると思いません?

(↑写真は遠くに小さく写ってるけど江ノ島)

 理由は簡単にいくつも挙げられるけど、まずブログやmixiのようなネット上でのコミュニケーションが手軽になったこと(俺にはまだまだ手軽というには遠い。だいたいパソコンってどういう仕組みで動いているかわからないしよ~)。電話で話さなくてもメールで事足りるしさ。
 よく新聞とかテレビで「この情報社会の中、電話やメールやネットではなく相手の顔見て話すことは人間関係のなかで最も重要」なんて知ったように書かれて報道されてるけど、「なんで?どう違うの?」って聞いても答えてくれない。
「同じ時間を共有してるし」「(写真や動画で)顔だって表情だって見えるし」「距離が離れていても繋がれるし」直接会ってるのとそんなに言うほど違う?

 みなさん思ったでしょうが「メールや携帯やネットで伝えるのと、お互い向き合って会うのは全く意味の違うこと」やっぱりそうだよね。ぼくもそう思う。
  ぼくはこれらのことをうまく表現できないんだけど、しかも月並みな意見で恥ずかしいけど、例えば女性と会うときには「体温」。こればっかりは会って一緒に食事をしたり、二人で歩いたり、抱きしめないと伝わらないもんな~(温もりが欲しいんだねって、そんなことじゃあなくて)。
 友達と「うまい!」とお互いに行ったことのあるラーメン屋について話するのと、一緒にその店の暖簾をくぐって「うまい!」っていうのはセリフは同音でも後者のほうが断然記憶に残る、思い出になる。(そのラーメンが実際はうまいのか、まずいのかは二の次。)
 普段見ている同じ景色を誰かと一緒に見ていると、誰と一緒にいるかで感じかたはまるで違う。空の色まで違うんじゃあないか。

 人と繋がるってことは記録を作ることじゃあなくて、思い出を作ること。「久しぶり!元気?」「じゃあまた会いましょう。」会って声かけて、また会うためのさよならを言うことが繋がるってことじゃあないか。
 …え?お前もそう思うだろ?J・P・ポルナレフ。