はるかに遠い夢

沢田研二さんにロ・メロメロ。
ジュリーの事を考えると頭の中がお花畑。
その花を押し花にしたいなぁなんて…

8月17日(日) 宮城県民会館 Vol.3

2014年08月20日 | ジュリー ライブ 2014
今日はもうトークショーですから、書きたいことは書いておかないと
では、MCでのお話し。

「みなさん、お疲れでしょ?
私なんか、真っ直ぐ歩けない
やってみよか。」
と、ふらふら歩くマネなぜか客席からは拍手

おいっちにぃ体操や上手から下手までの移動は料金には入っていないそうです

そして明かされる、おいっちにぃ体操の起源

京都のライブで舞台から落ちた時、医者から砂嚢を持ってリハビリしろと言われたので、替わりにステージでおいっちにぃ体操をすることにしたのが始まりだとか

42.3の頃から始めたとおっしゃっていましたが、「単純な永遠」のライブ映像(Live 1990:10;28)で、おいっちにぃ体操をなさっている姿が収録されています。
出ましたさすがの記憶力

そこから、肘が黒く見えるお悩みへ。

その時の傷が、ちょうど肘のところにあり、そこが黒ずみ易くなってしまったそうです。

「この人、ホンマにじいさんやな
と、思われないようにレモンパックでお手入れされて入れるとか

実は、私も最近気にしていて調べていたのですが、要は年を取ると角質が取れにくくなるのが原因とのこと。
レモンのクエン酸も効果はありますが、市販の角質取りを皮膚が柔らかくなっているお風呂等で使って、クリーム等で保護するのが良いのでないでしょうかただ今実践中

そして、左半身の怪我の話題から、小学校6年生の時に雨の日に学校の廊下で転んで右腕を骨折したお話しへ。

「ここでしていいですか
と、手術の時のお話しが始まりました。

もともとは単純骨折だったのだからギブスで固定して普通に治ったのでしょうが、中学に入学したら野球部に入ることを楽しみにしていたジュリーは、治療中で固定されているにもかかわらず、三角巾から出ていた手の平で野球ボールをいじってしまっていました

そのため、手首の骨がずれてくっついてしまっていたのです

こうなると、ずれてくっついてしまった手首の骨を一度切り離し、骨の中にステンレスの棒を通して固定するという大手術をしないと手首が曲がらないままになってしまいます。

ジュリーは「自己責任」だとおっしゃっていましたが、子供のことなんだから医者ももっとちゃんと経過観察をしてくれていればよかったのに

骨の中に、大工仕事のように金槌でステンレスの棒を打ち込んだそうですが、全身麻酔は危ないということで局部麻酔だったため、のたうち回るほど痛かったそうです

腕が腫れた状態で、縫い目がタコ糸の様で茶色のヨードチンキを塗っているものだからチャーシューのようだったとか。
「美味しそうだった」と、ジュリー

さて、骨がやっと真っ直ぐにくっつくと、今度は骨の中のステンレスを抜かなければならない。

「腕がちぎれたかと思うくらいの痛さ」
だったそうです

傷跡がムカデのように残ってしまい、
「『沢田さんどうしたんですか』と、飲み屋で訊かれると、いちいち説明しないといけない
だから、必然的に長居してしまうとか

この傷跡は、「リボルバー(1988)↑」の冒頭、お巡りさんジュリーが拳銃を保管場所に戻す場面で、割とはっきりと映ってます。

当時の研二少年の、細い細い腕を考えなくても、相当大きな傷ですね。

お母さまも、お辛かったのではないでしょうか

あ~
まだ書きたいことがあるので、後日に続く予定

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