ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

太子葬送の道 武烈天皇陵

2021-07-07 20:56:43 | ウォーキング

お弁当をいただきながら、
周りの景色を観察します。



ここは平野塚の穴山古墳と
名前がついていますねえ。



この先を歩いて行く時も
古墳の横を通ります。
この辺一帯の古墳群が
平野塚古墳といわれているようです。

この古墳の目の前の家の屋根には
「鍾馗さん」が古墳に向かって
おかれていましたねえ。



全部で三つ見かけました。





このあたりの古墳群は7世紀の
後半くらいに建てられた
といわれていますから、
葬送の時より後ですね。
なのでしずしずと古墳横を
通って行ったわけではないようです。

さあではおなかもいっぱいになりました。
また葬送の道歩きにコースに
戻っていきましょう。

住宅街を抜けてすすんでいくと、
神社のところに出ます。



杵築神社と書かれています。



もう鳥居のところから
遠出に参拝しておきました。

道は遠くの景色のよく見える
田んぼの中の道を歩いたりします。



とちゅうこんなフェンスのある
他の平野塚古墳の横を通ったりもします。



そしてやがて前方に高架道路が
みえてきましたよ。



あれが西名阪自動車道です。
田舎道から自動車道のところに出ると、
ちょうど香芝のインターで
高速道路を降りてきたあたりに出ます。

昔からこの辺りは焼肉とか、
有名な料理屋さんが
多かったですねえ。
そんなちょっとした繁華街を抜け、
西名阪をくぐったら
武烈天皇陵のところに出てきます。



この天皇は第25代の天皇です。
武烈という名前らしく、
かなり強権的な天皇だったそうです。

聖徳太子は第31代用明天皇の皇子ですから、
100年くらい前の天皇に
あたりますね。
なので、太子葬送のパレードが
このあたりを通った時は、
ここにこの古墳はあったもの
と推定されます。

コースを右折して
古墳の方にと入ってゆきます。



これだけのお墓を維持するのは
大変でしょうねえ。

一般人の入りそうなところも
きれいに草刈りをして
おかないといけません。
また古墳の中には貴重な自然林が
残っているんでしょうねえ。

古墳の維持にはそんな自然林の
保全なんかもあるんですかねえ。



古墳の拝領するところの横には
事務所があり、中に人が座っています。
古墳の管理に携わる人なんでしょうねえ。

宮内庁職員?
それとも維持管理の業者さん?
どんな仕事をしているんでしょう。
よくわかりませんね。

ではdoironも静かに
お参りをしていきましょう。

神社やお寺だと納経帳とか
あるんですけど、古墳には
お参りしたというようなものは
何もありませんね。
ちょっと物足りないなあ。

これまでいくつ古墳を参ったでしょうかねえ。

太子葬送の行列もここにも
お参りしたのかもしれませんね。

「太子様をよろしくお願いします」
と言い置いて行ったのかもしれません。



まわりに空き地のいっぱいある
そんな武烈天皇の古墳を
過ぎてゆきますと、



香芝市の今泉の村中を
どんどん進んでいきます。

そして次に見えてくるのが
「志都美神社」です。



昔高野山の盲目の僧が
ここの水で目を洗うと
見えるようになったので、
清水の神社から志都美神社に
なったといわれます。

神仏混淆でいったん廃止となった
神社らしいのですが、
その昔コレラが流行った時に
注目された神社ということで
残っています。

そうかあコレラの時代が
あったんですねえ。

今のコロナの時代も
後に大きく取り上げられたり
するのかなあ。

え~、我が村ではdoironも
コロナの時代にいろいろ動き回った
町会長として将来取り上げられたり
するのかなあ。

これまで来ると、
これまでおこなわれてきた行事が
どんどん姿を変えようとしています。

いやあ、大変な時代になってきましたねえ。
doironはちゃんと役割果たせるかなあ、
少し不安になりつつ

続いていきます


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歩きの思い出 | トップ | 太子葬送の道 香芝の鹿島神宮 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーキング」カテゴリの最新記事