「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

<521>撃毬(キョック)

2007年09月25日 | 太王四神記
 『太王四神記』の4~5話では、「撃球」と言う競技の御前試合が舞台になっている。



 高句麗国内の3つの地域選抜のチームが黄色(中央)・青(東地方)・黒(西地方)の各組に分かれて競っているのだが、ホゲ率いる黄組が勝利を意識する余り、相手の馬の飼葉の中に下剤を混ぜようとしたり、選手を襲撃したり、打杖(スティック)の柄の竹の中に鉄棒を仕込んだりと、不正行為が描かれている。


 「撃球」は「打毬」または「抛毬」とも呼ばれ、 現代のゴルフやホッケーのように棒で球を打つ競技の事。

 元々、 ペルシャから始まったポロ競技の原型が中国の唐に伝来して、「撃毬」となったと言われている。

 シルクロードを旅した競技なんだ~。

 更に、高句麗・新羅と朝鮮半島に伝来したそうだ。

 高麗時代には、特に盛んに行われたと言う。

 李氏王朝時代は、国防的な意味合いから、武人出身の太祖(テジョ)と3代王太宗(テジョン)によって行なわれた「撃毬遊び」は7代王世宗(セジョン)王の代には、科挙の武科試験の科目に採択される。

 「撃毬」の遊戯的側面は排除され、軍事訓練としての重要性が9代王成宗(ソンジョン)の代にはより一層強調されたと言う。


 『茶母』で、チェオクに恋をした左捕盗庁(チャポドチョン)の書官のアン録事の息子、アン・ビョンテクが武官試験を受験した時のシーンに、確かにこの「騎乗(馬上)撃球」出てた。

  ←アン録事

  ←息子のビョンテク

 ビョンテクはダメダメだったw


 しかし、安定期を迎えた王朝の中期以降には両班による貴族社会となり「撃毬」は、次第に衰退していった。



 「撃毬」には馬に乗って行う「騎馬(馬上)撃毬」と、広場等で行う「歩行撃毬」がある。

 『宮』では、この両方が皇室の伝統として残っているのが伺えるシーンが、たくさん登場した。

  ←歩行撃毬するシン君

 「騎馬(馬上)撃毬」は 球場で馬に乗って棒で球を打って、相手の陣に球を送り出す。

 シン君とユル君が馬に乗って、練習していたよね~
  
 「歩行撃毬」は 広場のあちこちに穴を掘っておいて、歩きながら球を打って 穴の中に入れる。

 チェギョンがシン君から教わっていたw


 『太王四神記』での「撃球」は、かなり戦闘的な競技だった。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごい (ルナ)
2007-09-26 17:42:07
こんにちは!
すごいーさすがぐるくんさんです

ペルシャから始まったポロ競技

↑だったんですね! そう!!

茶母の~よいキャラでしたよね~いつもお父さんに怒られてて!


ジフンカッコイイです^^
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伝統があったのね~ (ぐるくん)
2007-09-26 19:52:24
 ルナちゃん、コメントありがとうございます。

 『太王四神記』では、ものすごい迫力でしたが、『茶母』では武官の試験科目、『宮』では皇室の面々が引き継いでいく伝統の競技へと、時代と共に変化していった事が、ここに来て判りましたw

 風邪、お大事に・・・
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