中国分がんこなパン屋

食い物について思うこと、趣味の音楽、山のこと。

オスカー ピーターソン 逝く

2007-12-25 | Weblog
今朝仕事しながら聞いていたラジオのニュースで知った。
1965年か66年、高校生のとき大手町の産経ホールへ聴きに行った、
なまで聴いたはじめてのアメリカ人のジャズだった。
ベースはレイ ブラウン、ドラムスはエド シグペンからルイス ヘイスに変わったばかりでヘイスはまだ慣れていないと言われていたと思う。産経ホールはうなぎの寝床みたいと言われていた細長いホールで、私たちが聴いたのはその2階席。ステージとはずいぶん遠かったし、ピーターソンのレコードをほとんど聴いていなかったし、スタンダードもほとんど知らなかった。
そのとき演奏された曲で覚えているのはトゥナイトだけ。その後本格的にジャズを聴くようになったが、ピーターソンはあまり聴かなかった。
社会的メッセージが乏しいジャズはランクが低いと思っていて、ピーターソンはそうだと思っていたからだ。しかしたまに聴くとめちゃくちゃうまくてかっこよく、ぞくぞくするのだ。よく聴くようになったら、それを聴いてそだった次男が好きになり、15歳の誕生プレゼントにピーターソンを聴きにブルーノート東京へ連れて行った。そしてかれが中学卒業の春、ピーターソンのコレクターであった水道橋「響」が閉店することになり、レコードを処分した。そのとき彼が手に入れたレコードの1つがこれ

その後彼が収集したレコード、CDの数はものすごくかれの部屋はそれらでいっぱい。そんな思い出多いピーターソン、ありがとうございます、安らかに、アーメン。   

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