中国分がんこなパン屋

食い物について思うこと、趣味の音楽、山のこと。

2015年 その1 戦争法案

2015-12-30 | Weblog
一月に父が亡くなり その時はそれが今年一番の出来事になると思った

しかしそんなことよりはるかに重大なことが起こってしまった

戦争法案である。

与党推薦の参考人にまで違憲といわれ、考え直すきっかけになるかと期待したが

カエルの面にションベン、参考人の意見など儀式にすぎず、強行採決にまっしぐら

集団的自衛権の行使は出来ないという従来の政府見解を変更することには反対であると公言していた

公明党山口代表は安倍に押し切られあっさり容認。嘘つきであることを白日の下に晒した。

北側副代表は最高裁砂川判決は集団的自衛権を審理したものではなく

これを集団的自衛権行使可能の根拠にするのは間違いであると言っていたくせに

安倍が一歩も譲らないとなると、解釈の変更はなく従来の解釈と変わっていないなどと苦しい言い訳をしだす始末。

公明党は平和の党庶民の党という看板を簡単に捨て去り、安倍自民の家来に成り下がった。

創価学会のなかにはそんな公明党の姿勢に疑問を持った会員も多かったと思うが

大きな声となることは無かったのは叩けばいくらでもほこりの出る大作を人質にとられたからなのか。

宗教法人にたっぷり課税せよ。

信濃町を取り戻せ。


東山 魁夷記念館

2015-12-28 | Weblog
前記事の一週前の13日で順序が逆になるが中山の東山魁夷記念館にいって来た



真間川近くに文学の道というのがありそこに市川ゆかりの文人達を紹介するパネル設置されている

永井荷風、井上ひさし、中野孝次それに幸田露伴に安岡章太郎あとだれだったけ 

改めて市川市作成の市川の文化人を見てみるとたくさん出てますね

そんななかで東山魁夷は著述ではないので文学の道には登場しないけれど

知名度ではトップクラスの人、なにしろ人間国宝だし。

その魁夷が戦後まもなくから没する(1999)まで50年中山に住んだそうで、その居宅に隣接する場所に

東山魁夷記念館が開館しこの11月に10周年を迎えた。

小雨の中初めて行ってきた

記念館でありいわゆる美術館ではない

というか、市川市に彼の作品をコレクションする金はないから美術館は無理、というのがほんとうのところか

自家所蔵していたものは市川市または千葉県ではなく長野県に寄贈したんだって。

長野、岐阜にも東山塊夷の名のつく美術館があるということだ

なので展示は絵画そのものより文字での説明が主になるが結構おもしろい

構想、取材 計画 絵描くのもたいへんな準備が要るのにびっくり

雨のせいもあってか観覧者も多くなくとてもゆっくり回覧することができた


休息所の天井

そしてそのあとは併設のカフェで昼食。小声でこちらが主目的


オクサンハヤシ


わたしカレー


付け合せのピクルスとかなんか


デザートとコーヒー

近くにも結構いいところがもっとあるのかも




御嶽駅から武蔵五日市駅

2015-12-27 | Weblog
12月20日

御嶽駅から武蔵五日市駅まで19km

御嶽駅7:35 

日の出山9:37~10:15

御岳神社10:46~11:16

金比羅尾根分岐11:32

琴平神社13:44~14:20

五日市中学14:40

武蔵五日市駅14:50

御嶽駅を出て目の前の橋を渡り正面の伐採され裸の斜面に古い道標



高峰と読める


駅が見える

展望のない単調な道


縦走路に出る 高峰山 9:02

日の出山は明るく展望も良いがこの日は湿度が少し高かったようで、遠望はいまひとつ

それでも


富士山


端整な大山 相模湾が光っている


御岳山参道


これはイノシシだ

長居する雰囲気ではなく早々に退散、金比羅尾根へ向かうがこの尾根はトレイルランやバイクのコースになっていて

道はたいへん良く整備されているが、交通事故に注意が必要だ。

展望も見るべきものもなくただひたすら歩くのみ。

13:44提出した計画書より30分はやく琴平神社到着。トイレがある。

ここから五日市駅は1時間だから15:55のホリデー快速には楽勝で間に合う

御岳神社で休憩しなかったのでまだ食べずに残っているカップうどん休憩にした

先ほどから近くで人の話声が聞こえ、動き回っているようだ。

現れた声の主は子供で 三人出てきた 小学校高学年か。

私の前を行ったり来たりチャンバラしている

うどんをすすっているこちらをちらちら見るのでおなかすいてるのかとたずねると

テーブルのペットボトルに目をやり「水が飲みたかっただけ」と答える

千葉の水道水だけどねと一本あげた

そのときここから五日市駅まで1時間で行けるかと訪ねたのだがそれには答えず

ボトルごともらって良いのかと聞き、行ってしまった。が、また戻ってきて

水のお礼を言い、「五日市まで1時間かかりませんよ」と先ほどの質問に答える

そう?でも私の足ではどうかな?「でも僕たちの足で30分くらいですよ」

そして「下りよう、寒くなってきた」と、喊声をあげ走っていなくなった。

私も続いて出発すると下のほうでまだ声がしている。

一気に帰るわけではなさそう、あちこち引っかかりながら帰る様子で、微笑ましい

しばらく歩くと前方に姿が見え、彼等も気づいたらしく振り向き手を振っている

程なく追いつき話しながら歩いた。琴平神社でよく遊ぶというわけではないそうだ

二人は途中でわかれ、残る1人が駅までの道を案内しながら小学校まで一緒に歩いてくれた

礼を言い別れ大通りに出ると駅はすぐだった。

彼等の言うとおり30分で到着、たいへん楽しく心地よい30分だった













夜叉神峠と北横岳

2015-12-09 | Weblog
5日夜道の駅しらねで少し飲んで車中泊、星がとてもきれい

翌日暗いうちに出発し夜叉神の森へ。

芦安温泉郷より先の林道は土日しか通行できないらしい。

広い夜叉神の森駐車場には10台ほどでがらがら

明るくなってきたのでランプなしで出発

単独山行がほとんどだが気心知れた友と歩くのも楽しい

同行者があるとオクサンも安心するし。

樹林帯を一時間ほどで夜叉神峠。


白根三山 右の北岳の前に樹がかかってしまった

温かいラーメンにコーヒー。デザートはなかったが冷たく澄んだ空気。

眼前には大きく三山がそびえる。

一浪の後晴れて大学生になった1969年夏高校の同窓生3人で北岳から濃鳥岳へ2泊で縦走した

広河原~御池小屋~北岳肩の小屋(泊)~北岳~間ノ岳~西濃鳥岳~濃鳥岳(泊)~大門沢~奈良田というコースで

奈良田で一泊後鰍沢からクラス会会場の白樺湖へ行った。

ナイロンとはいえテントは収納サイズ、重量とも今とは比較にならないくらい大きく重かったはずだ

コンロはカミシマラジウスとかいう重い大きい灯油バーナーと当時最新のカセットガスコンロ

木綿のキスリングに詰め込み何キロあったんだろう、各自米も持ったし、1人10キロは超えていたと思う

なにを食べたのか。フランスパンと甘い練乳がおいしかったのは覚えている

米をとぎ飯盒でご飯を炊いた。そして残った米を下山途中の大門沢小屋で売った。

そうだ、大門沢小屋のトイレを思い出した。

個室になっていて今では考えられないことだが、下は小さな流れで、放たれた分身は川へ直接落ちる。

走るように下り奈良田で川原にテントを張るとどこからか子供が遊びに来た。

夕食後、大浴場と看板を掲げる旅館の風呂(温泉)が気持ちよかったが

大浴場と表明しているにもかかわらず我々3人で満員であった

昼間の子供はこの旅館の子だった。

その後帰宅せず電車バスを乗り継ぎクラス会会場の白樺湖へ行ったのだから若いというのはすごいなと思う。

そんな懐かしい思い出の山の展望台夜叉神峠に行ってきた、当時の3人で、

といきたいところだったが、3人とも自由がきくとはいえまだ現役でそれぞれスケジュールがあり

今回は叶わず2人で出かけた。

さて、なんとも言われぬよい時間を堪能したら次の目的地北八ヶ岳ロープウェイに向かいましょうかね。

2時間くらい掛かりそう


芦安から韮崎へ向かうクルマから八ヶ岳、ほぼ南から


原村から八ヶ岳 蓼科山から編笠山までぜんぶ

二時間と少しで到着。

北八ヶ岳ロープウェイで標高差466mを7分で一気に。

車窓からの展望に歓声があがる。

登り下り共に毎時0分20分40分発で下りの最終は16時。

山頂駅を出ると一面の銀世界、スキー場だ。

最後にスキーを履いたのは、子供と行った今は無い御殿場スキー場で25年以上前になる。

転倒し膝を捻ったらと思うと膝にトラブルを抱える身としてはもうスキーは怖くて出来ない。

アイゼン、スパッツを装着し出発。坪庭には人が多いが登山道に入るとぐんと減る。

よく踏まれた道はたいへん歩きやすく景色も申し分ない




気持ちよい道

1時間半で北横岳南峰到着、すばらしい展望だ。

すぐ隣の北峰からは浅間山が結構大きい。


北横岳からの展望西側中央アルプスから北アルプス北部までずら~

甲斐駒、仙丈、北岳 木曽駒、乗鞍、御嶽、穂高、白馬、妙高、奥秩父両神山と360度の大展望

間近の蓼科山が大きい。

蓼科山も68年浪人中の夏滞在していた民宿へゼミ合宿に来ていた大学生に誘われ一緒に登った思い出がある。

条件が良ければ筑波山も見えるらしいが、この日はそれは叶わなかった。

どちらも登山と言うほどではなかったが、46年前とよく似たルート。

移動中も含め、懐かしく、とても景色展望の良い遠出でありました。