中国分がんこなパン屋

食い物について思うこと、趣味の音楽、山のこと。

2013-02-28 | Weblog
佐倉の老人ホームに両親を訪ねた。
だれか来客があると一緒に外食するのを楽しみにしていて、今回も父は教会を休みわたしを待っていたが、
私が着いたとき母は調子も機嫌も悪そうだった。
ベッドから出ない母に早よう起きぃ、めし食いに行かんかと父が誘うが母は、私行かん、二人で行けと
息子の顔をみるとたいてい機嫌よくなるのにいまひとつだ。

そんな母を行けば良うなるよと父は強引に連れ出す。
クルマで行った近くのファミリーレストランは靴をぬいで上がらなければならないうえ掘り炬燵のような席
で座ったり立ったりに時間がかかる母には不向きだった。

席につくと父はまず酒。

私はいらん、と機嫌が直らない母。
そんなこと言わずにいい顔見せてよと頼んだら
いい笑顔が撮れた。

 

お子様ランチ。御膳だったかな



父はチューハイを追加。

食事が終わり席を立とうとすると母がなかなか立ち上がれない。腕をつかみ、せーのとひっぱりあげようとすると力を入れた母の足がすーっと前にすべりレジの前で仰向けにスライディングしてしまった。

ホームへ帰ると母は歯も磨かずに横になってしまった。

夕方じゅんさい池に行くとようやく梅が咲いていた。 

中国分

2013-02-18 | Weblog
わたしが住む中国分は昔軍用地だったところで、家のあたりは練兵場だったと聞いている。
戦後開拓団が入植しだんだん住宅地にんり現在に至っている、らしい。私たちが小岩から転居してきたのは1989年1月だからそれから24年、あちこちたくさんあった畑の多くが住宅になり、また世代交代などで住む人がいなくなった土地は分割分譲され人口も増えていると思う。
新住人は若い家族が多く、したがって子供が増えた。高齢者が多くし~んと静かな町だったがこのごろなんとなく明るく活気が出てきた。泣き声嬌声子供の声が聞えるというのはいいもので子供ってすごいと思う。仕事がはかどらずイライラしたりニュースに腹を立てたりしているときも、子供の声をきいたり顔を見たりすると我に帰るし、すごく癒される。
その子供たちの将来にどんな世を残すのか、私たちの責任は重い。

友人から安く譲ってもらったデジタル一眼レフをなかなか使いこなせない。
今日も夕方矢切の富士見橋で練習。タムロンの300mmズームレンズで純正じゃないというエラーが出て困っていたのが解消。どーもズームリングの接触不良のようで、何度もぐるぐる回していたらエラーが出なくなった。


三角の武甲山とその右に両神山 電線が目障り 


雲で山は見えないが御坂黒岳付近に沈む陽 これも電線が...


将来道路が完成したら街路灯となるプレ街路灯と月

 

ヤビツ峠バス運休で来なかった

2013-02-12 | Weblog
10日久しぶりに行った山は丹沢塔ノ岳、二俣から大倉尾根930付近への尾根を登る計画で、大倉から二俣へ向かう西山林道ですでにけっこうな人数で東丹沢県民の森からの道が合流するとさらに人は増えます。二俣から目的の尾根に取り付きます。人工林で展望は無くあまり面白くありません。1時間半ほどで人の声が聞え大倉尾根が近いことがわかりやがて大倉尾根へ出るとゾロゾロすごい人の数です、10時15分。雪はありませんがいまにもぐちゃぐちゃ泥んこになりそう。天神尾根分岐あたりから雪が出始め金冷やしは真っ白、11時55分ごったがえす塔ノ岳に到着。富士山も南アルプスも八ヶ岳もよく見えます。



風も無く暖かい山頂でのんびり1時休んでしまい、ヤビツ峠発3時51分か4時16分のバスの時間が心配になりあわてて出発。富士見山荘上の林道に下り立ったところでアイゼンをはずし車道を急いで4時少し過ぎにバス停に到着しほっとして、ストック、スパッツを収納し靴の泥を落とし、バスに乗る準備をしていると、バス停に到着する他の人たちがすぐにいなくなります、なんか変だなと思い発車時刻表のところへ行ってみると、路面凍結のため蓑毛で折り返し運転となるのでヤビツ峠へは来ませんということが張り紙されている。

もう一度リュックを背負いなおし蓑毛へ。
大倉7:25~蓑毛17:00  山での昼食はうまかった。