某ファミレスでの話。
大人2名、子供2名で来てて、親がおしゃべりに夢中で子供をほったらかしにしてて、子供がジュースをこぼしてしまった。
親はおこらず、「またジュース持ってきな。」と言っていた。
(今思うとこの子に持ってこさせるのはムリだから、もう1人の大人に言ってたかも。)←またもやうろおぼえ。
この親、もうひとりの大人としゃべっていて全然こどもがもうあきててぐずりかけてるのに気づかない。気づかないでなく無視かも。
ジュースこぼしたのはまだチャイルド席の必要な小さな子で、食事ももう終わってて、つまらなそう、なのが端から見ててもわかる。
で、コップをもてあそんでて、こぼしてしまった。
まあ、この場合は叱ったら子供はなんかかわいそうな感じなわけですが…。
叱らなかったのは親の性格もあるのだろうけど、このファミレスはドリンクバー方式で、いくらおかわりしても「タダ」。
このタダ、というところに叱らない理由の何分か一くらいはあるのかな、とふと思ったのです。
自分が子供だった頃は(これも親の性格によるかもですが)このシチュエーションはもんのすごく叱られた。「不注意」などの理由以外に「タダでないんだ!」ってことで。だいたい「ばかたれ! もう連れてこない! 買ってやらない! 頼まない!」あたりの台詞つき~。
この場面にかぎらず、タダなら、あと、安いなら、ぞんざいにあつかってもいいのか?
って思うことしばしばしば犬。
まあ、このお母さん(年配だったからおばあちゃんかも。)もせっぱ詰まった話に夢中でこどもを見てられなかったのでしょう…。しじゅう一緒ではそんなこともあるさ…。
しかし、タダならこぼしてもまたもらえばいいんだーとこの子が覚えなきゃいいんだけどね…。長じて出版社あたりに勤めて、「直しもちょっとしたカットもタダだからどんどんいれちゃえーーー。」と、ならないでね。(話がどーんと飛躍)
まあ、この子が大きくなってお勤めするころニャ、もう現役は退いてるかな、私も。
大人2名、子供2名で来てて、親がおしゃべりに夢中で子供をほったらかしにしてて、子供がジュースをこぼしてしまった。
親はおこらず、「またジュース持ってきな。」と言っていた。
(今思うとこの子に持ってこさせるのはムリだから、もう1人の大人に言ってたかも。)←またもやうろおぼえ。
この親、もうひとりの大人としゃべっていて全然こどもがもうあきててぐずりかけてるのに気づかない。気づかないでなく無視かも。
ジュースこぼしたのはまだチャイルド席の必要な小さな子で、食事ももう終わってて、つまらなそう、なのが端から見ててもわかる。
で、コップをもてあそんでて、こぼしてしまった。
まあ、この場合は叱ったら子供はなんかかわいそうな感じなわけですが…。
叱らなかったのは親の性格もあるのだろうけど、このファミレスはドリンクバー方式で、いくらおかわりしても「タダ」。
このタダ、というところに叱らない理由の何分か一くらいはあるのかな、とふと思ったのです。
自分が子供だった頃は(これも親の性格によるかもですが)このシチュエーションはもんのすごく叱られた。「不注意」などの理由以外に「タダでないんだ!」ってことで。だいたい「ばかたれ! もう連れてこない! 買ってやらない! 頼まない!」あたりの台詞つき~。
この場面にかぎらず、タダなら、あと、安いなら、ぞんざいにあつかってもいいのか?
って思うことしばしばしば犬。
まあ、このお母さん(年配だったからおばあちゃんかも。)もせっぱ詰まった話に夢中でこどもを見てられなかったのでしょう…。しじゅう一緒ではそんなこともあるさ…。
しかし、タダならこぼしてもまたもらえばいいんだーとこの子が覚えなきゃいいんだけどね…。長じて出版社あたりに勤めて、「直しもちょっとしたカットもタダだからどんどんいれちゃえーーー。」と、ならないでね。(話がどーんと飛躍)
まあ、この子が大きくなってお勤めするころニャ、もう現役は退いてるかな、私も。