Soho Designer の長いつぶやき

SOHOでのフリーデザイナーとして30年。
地方で超零細企業としての日々のつぶやき。

3月になると思い出すこと

2014-03-28 15:00:34 | こぼれ話
3月が来て、初旬はそれなりに忙しく、あっという間に月末年度末になってしまった。
4月から消費税が上がる。
郵送料宅配料なども同様なので急いで送るものなどは送る準備をせねば。
といっても、なんだかのろのろして結局なかなか進まず、ハナばかりかんでいる。(というのも花粉や2.5が!)

そんな変な鼻炎やらアレルギーに縁のなかった子供時代、私にも親がいました。
いました、というのはまわりにくらべて両親とも比較的早く亡くなったので。
(もう今はいない方も増えて来た)

この年度がわりの時期、オツトメの方なら移動やら転勤やらに伴って引っ越しのシーズンです。

私の父は大きな電機メーカー勤務でした。職制としては転勤はほとんどないはずなんですが、
都内、それも都心部にあった工場を丸ごと東海地方のある都市に移すことになり、
簡単に言うと「行きたくない」=「くび」になるので、引っ越しを余儀なくされました。
(行きたくなかったらしいのです。。。)

父も母も姉も見知らぬ土地への不安があったようです。
その中で末っ子の私だけのーてんきに「やまもかわもうみもあるー!」と喜んでいました。

都内の自宅から荷物と父と姉と二匹の犬はトラックで、そして母と私は東海道線に乗って新たな住まいへ引っ越していきました。
それが3月27日頃だったと思います。

都内から一緒だった犬も母もその後飼った何匹かの猫もその地方で亡くなって、そして父は定年後東京に戻って亡くなって、姉も私もその地方とは違う地方に住んでいて、もう誰もそこには住んでいません。

たまに思い出す。引っ越し先の下見に行こうと家族4人で母の作ったお弁当を持って東京から東海道に乗って、その町にいき、さらにバスで山の方まで行った。
私たちの住む場所は町でも山よりの不便な場所だった。

私たちが通うはずの小中学校を見に行ったり、そして景色がいいからと今思うと通学路の途中あたりの林の中で母の弁当を食べた。

その頃が貧しいなりに家族全体が若いいい時代だったのかも。
コメント
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