Soho Designer の長いつぶやき

SOHOでのフリーデザイナーとして30年。
地方で超零細企業としての日々のつぶやき。

震災の紙への影響

2011-03-27 15:30:08 | 仕事話_制作
といってもそんなにばっちりと書けるわけではないです。
しかし、大過去に製紙会社に勤め、今グラフィックデザインを仕事としてる身でわかる範囲を記します。
(↑大過去に勤務しててもわからない事多し。)

被災地東北には大手製紙会社の工場があり、今多くの工場が操業停止になっております。
ソレに比べれば、被災は軽度と言われる南関東でも「倉庫」の荷が崩れ、紙在庫が不足すると言われてます。

仮に工場が操業できても今は計画停電(輪番停電)というものがあり操業に影響が。
製紙というものは抄紙機を途中で止めるわけにはいきません。
私の勤務していた会社は連続操業、いわゆる連操勤務といって人間も三交代で24時間稼働していました。
この抄紙を止めるのは年二回くらいです。

そのような工場はこのたびの停電にどう対処してるのでしょうか。
過去にも書きましたが、製鉄はもっと止められないと聞きました。
10年に一度と聞いてます。
もっとも近年のリーマンショックで止める事を余儀なくされた事がありましたが。

計画停電は皆が協力しなくてはならない、それは仕方のない事です。
被災された工場はもちろん、東日本、東電区域の工場、製鉄や製紙だけでなく、
いろいろな製造工場の生産に影響が出ています。

自分はデザインという仕事ですが、もちろん今やれる事をやっていくしかないのですが、印刷、出版、などの紙媒体デザインにはこの紙の打撃は多いに響いてきます。
もちろん自分たちの業務にも停電は響いてます。

これから復興に向けてお金がいります。
そして生きて生活をしていくにももちろんお金が。

そんな中でなんとか経済をまわしていかないとならない。
出版はできるものはしなくては、出版社だって食べて行かないといかない。

なんとか知恵を出し、電力や紙もそうだが、「あるもの」でなんとかしないと。
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2011-03-24 16:56:34 | 仕事話_制作
余震や停電、いろいろ不安な中でも業務は遂行していかねばなりません。

今、仕事はとうとう4本重なって動き始めました。
4本受けても入稿の時期などのズレを時差を生かして進めれば、
なんとかこなせるであろう、と思ってはいたが、
震災ですべてが一旦止まり、その後の計画停電などで遅れていたものがいっぺんに入ってきてしまった。まさに同時進行。

スムーズでもきついのに、困った仕事(修正や追加の多い仕事)が混ざっており、
老けもいっぺんに進行しそう。

さて、そのいろんな仕事の中に古いデータを流用の流用みたいな指示で来てる物がある。(誤解があるといけませんので、これが困った仕事ではありません。困った仕事は別。)

過去にはos9時代に作ったものが多い。
レイアウトはもちろん流用でなく新規。過去の文章、過去の画像など、過去をつなぎあわせて並び替えて、新しく誌面造り。

過去のデータ、たとえば、何年のなんとかって本の何ページの右上のなんとかって画像を新規の左のどっかにおいてうんぬん、みたいな編集からの指示にしたがって(サムネールは来る)パズルのように組み合わせる。

画像のように化けてしまった画像、これがけっこうあって泣きました。
フォトショップで開こうとしても開かない。(画像であることはわかってる)

しかし、もう皆さんご存知かもですが、私はここで、「そーいえば、拡張子ついてないなー。前に化けたファイル、拡張子つければ開いたことあったなー。」とやっと気づきました。
けっこう前のMacは拡張子がつかないファイルでした。
ウインドウズとの互換性のせいか、ある頃からついた訳です。
そうすると、この誌面に使った頃はほとんどepsでレイアウトに画像配置してましたから、「ファイル名.eps」とつけてフォトショップで開いたら、「勝手に拡張子つけてなんかあっても知らないわよ」っていう意味のアラートが出て、「いいわよ。」とオーケーしたら!

無事開いたのです。そして無事新規レイアウトに配置しました。

はー疲れた。これだけでも疲れます。。。こうやって普通の仕事でもDTPのお仕事は老けます。イヤですね。
さーどんどんやらないとね!
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不安の中で

2011-03-17 17:52:19 | 仕事話_制作
今、仕事がつまってて、通電中にどんどんやらなくてはならないのが非常にキツイ。
平常時でもきつかったのに。

そして世の中それどころではないのに。

会社員なら社長とか上司がどこでストップをかけるか、を決定するだろう。
私はフリーなので決めるのは自分。

たまの停電(計画停電)があるくらいで仕事はできる。食料も水もある。ガスだってきてる。
だから仕事もできる。
ただ自分の仕事は出版関係のデザインなのだが、同時進行のこの4冊の本、はたして予定通りに出せるのか?

今この震災の影響で紙が足りなくなるかも、というニュースを見た。
東北にある大手製紙の工場が稼働できない。もうそれどころではない。
他の地域の工場、紙だけではない、製造業はこのたびの計画停電で生産量は落ちているだろう。

紙を作るには水も大量に使うし。停電で断水になるところもある。
(もしかしたら大きい所は自家発電システムがあるかも。しかし暫定的なものであろう)

生活用品としての紙、を優先したい時期に、書籍用の紙など製造するだろうか。

そして燃料不足や道路の混雑で流通も混乱している。(宅配便は首都圏の近隣でもそうとう遅れると言われている。)

出版社だけではないが、今会社員の方々は通勤にも支障が出て、業務も滞りがちであるのに。
(実際にデザイン入稿が遅れているものもある)

まだ取引先からの通達はない。どうするのか。

しかし、こういう時、自分の仕事って無駄なのかなと思ってしまう。
作ってる本だって余裕があるときの趣味本だったり、旅行の本だったり。
そしてデザインなんて、非常時にはいらない産業(といえるかどうか)なのかも。

やれるかぎり一生懸命仕事してるが不安でモチベーションは下がって行く。
通達がない限りやるしかないのだが。。。
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地震の日

2011-03-16 17:08:37 | こぼれ話
いろんな事があった。

なによりも先週(3月11日金曜)の大きな地震。初めて見る(身近な土地の)津波の怖さ。そして原発の恐怖。
計画停電(輪番停電)という初めての言葉も。

私は無事でした。家族もです。
そして計画停電も回避される事が多く、
停電は地震直後~未明か翌朝までだった。

停電時、断水もガス遮断もなかったから暗いのと寒い(今時の暖房器具は電気がないと灯油系のものでも使えない)のくらいでお湯はガスで湧かせるからお湯でアルファ米を戻して食べる事ができた。
戻す間にカイロ替わりに体にあてたり。作業をするときはヘッドライト式懐中電灯、そうでないときはろうそく。しかし余震のたびに消す。

地震直後、最初テレビもラジオもネットも停電でダメなので、確かにうちはすごく揺れたんですが、情報がないので、まだ東北があんなにひどい状態だったのを知らない。役場の放送も声が割れてて聞こえない。

外なら放送もはっきり聞こえる場所があるし、近所の人も歩いてるから停電の件を聞いてみようと、犬の散歩へ。
畑にいる人に「すみません、先ほどの地震の情報わかりますか? 停電で情報がわからないのと、放送が聞きづらくて…。」
「仙台の方で大きな地震で津波が来て人がたくさん死んでいる。」

…そこまでひどいとは!

「情報どうやって知りましたか?」
「携帯ラジオだよ。」
そうそう農家の人は携帯ラジオそばにおいて作業してる事が多い。

帰宅後すぐに電池を普段使用していない携帯ラジオに入れ、聞く。
やっと大震災と津波で東北がひどい事になってる事を知る。
しかし、まだ耳で聞いてるだけ。

翌朝やっと電気が使えてテレビを見た時、そして新聞の写真を見た時、
惨状を文字通り目の当たりにした。

ここを読んでいる方、皆さんご無事でしょうか。
ネットですとどこに住んでらっしゃるかも知らないので。
皆様の無事を願います。

この後、昨晩にも静岡東部で震度6強。どんどん南に、西に、震源地が移動して行ってる。怖い。
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フリー受難の時代

2011-03-02 07:43:12 | 仕事話_制作
フリーの方々は皆どうしているのだろう。

デザイナーが鉛筆一本で(というと大げさだが)独立できた時代と違って、
今は経費がかかりすぎる。

自分がパソコン導入した時代よりはパソコンやスキャナーの値段は(パーソナルなものは)下がったが、
そうはいってもアナログ時代に設置した簡易コピー機くらいの値段にはなってしまう。
私は簡易(?)トレスコも持っていた。写真などのあたりやトレス用である。
アナログ時代の機器は一度買えばそうとう長持ちしたから、設備に経費はそうそうかからない。
製図用具も見習い時代~専門学校時代から揃えていたから、本当にこの先購入するものなぞなかった。本来は。

今はハード+周辺機器、ソフト、などがバージョンアップがほぼ2年おきくらいにくるので、その度に大金(私にとっては)いる。
ずっとずっと払っていかなくてはならないのか。

ではこの高級マシンやソフトたち(私にとっては)を使用して作ったデザインの仕事は高くなったか? というと逆である。
単価は下がったまま、アナログ時代よりいい予算なぞ見た事もなく。

なのに高級マシンwで高級な仕上がりを何パターンも提出する事を求められ。。。

某広告媒体では、「出力の統一」の名の元に、貧乏デザイナーは仕事ができなくなってしまった。
本来個人レベルでそこまでの出力機(100マンレベル)まで揃えろというのがムリ。揃えてる人はいますが。
これもようするに「広告を出す側=お客様」で「最後の色校まで出してみて、広告代理店や印刷側に単に入稿するだけ」と「負担」をお客様側に押し付け状態なずうずうしい要求だと思うのですが。

デザイン(もちろん完全データ入稿ではあった)だけ請け負ってた我々貧乏デザイナーに「この広告業界の完全なる規則にのっとった出力紙を必ず添付のこと」の条件を付けられて、仕事はこなくなってしまった。(おそらく一貫してできるシステムのところにいった)
もちろん特に私に出さなくても代わりがきく程度なわけですから実力不足なんですけど。

わずかなスペースでもこんな時代に広告をお金をかけて出す重みなどをふまえて、デザイナーとはいえ、コンセプトから考え、キャッチも考え、制作していたのに。
まあ、上記以外にもいろいろ理由はあったらしいですけど。

「誰かデザイナーいませんかね?」という話で巡り巡って私のところに仕事が依頼が来る時、「前の方は?」と聞くと、「デザイナー自体を辞めた。(転職)」「(フリーでなく)会社に勤めてしまった。」
という声をよく聞く。

株価だって今よりもっとひどい時代があったのに、仕事の案件は減り、単価は下がって、経費はかかる。
仕事を出す側もどうやらお金がないわけではなく、お金はあるところにはあるが、「かける場所」が変わったのかデザイン業界の冷えは快復しない。
「デザインにかける予算」が上がらないかぎり。

ここのブログも丸3年たちました。
この春、仕事はすごく重なって、多忙である。多忙イコール収入増とはいかないのが解せない、とつぶやきつつ、今年もここを続けて行こうかと思います。
コメント (2)
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