De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

当初のチャレンジ

2011-09-26 23:44:52 | パートナーシップ協働・行政


リタイヤ10年総括シリーズ


リタイヤ最初にチャレンジしたのは、WELQMSという団体の設立です。
これはウエルファーすなわち福祉事業者へのQMSすなわちクオリティマネジメントシステム普及支援の団体です。
メンバーは「日経マスターズ」創刊準備号からその趣旨と狙いを載せてもらい、仲間を募りました。
まだ雑誌は知られておらず、読者も極端に少なかったようでしたが多少の反応はありました。
近隣在住者に絞って当初5名ぐらいでスタートしました。
NPO法人化を前提としていました。
QMSすなわちISO9001監査委員認証者も参加してくれました。
でも、2年くらいで実質私一人になってしまいました。
理由は、
早期リタイヤした人ばかりで、皆さん個人的にコンサルタントなど自分の食いぶちを稼がなければならなかったこと、
やはり東京・横浜と、距離的にお互い分散していて一緒に行動することが困難でした。
現実的には、事業者の認識はそこまで届いていませんでした。ニーズはあるが意欲はないのが実態。
この事実は10年後のいまでも、ワタミのような大規模事業者ならともかく、全然変わっていません。

そのころ八王子市を活動拠点・情報拠点としていました。
八王子には当時できたてのサイバーシルクロード八王子というとても使いやすい支援組織がありました。

一方、相模原市内でも活動しようと、シルバー人材センターに登録もしました。
これは、そこからの仕事が欲しくて登録したのではなく、県のパンフレットの中に、小泉政権でのシルバー人材センターのあり方意見などが論じられていたものがあったからです。

シルバー人材センターにはとても多くの人材が登録されていました。
その中には、会社をリタイヤして、力を持て余している人が大勢いるはずです。
行政から分けてもらう駐車場管理のような仕事だけでなく、会員自らが団体を作ってビジネスを企画し、新しい分野の仕事を集めるという提案を出しました。

事務局は国や県の方針が示されていることは承知でしたが、大変戸惑っており、この提案は地域組織に回して置くということで居住地域の組織が審議することになりました。

地域の会合で、私の提案はとんでもない異物が入り込んだという取り扱いを受けました。
人材センターは歴史が長く、年功序列で古い人が優先で仕事をとる小さな利権集団になりきっていたのです。牢名主組織みたいなものです。
とても理想が実現できる場所ではありませんでした。

とはいえ、企業リタイヤ組がいないわけではなく、その人たちでパソコン勉強会もできてしばらくはシルバー人材センターのパソコン教室を利用させてもらいました。

市民活動サポートセンターが生まれたのはそのころでした。