宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山の文化遺産(牡丹)

2011-05-01 | Weblog

宝満山の東裾にある本道寺で人知れず咲く
一株の可憐な牡丹・・・

地元の平島家が江戸時代に庄屋を務めていた関係から
黒田藩から下賜された福岡城の牡丹といわれ
昭和40年代までは平島徳作氏が大切に愛でられ
約二十株の牡丹が同家の庭一面を埋め尽くすように咲き誇っていました。

江戸時代は牡丹栽培が非常に盛んであり、
全国の寺社や富貴な町民の間で新種くらべが盛んになりました。
中でも博多は全国に先駆けて「紫陽三月記」(1691年椿屋遊園著)などの
牡丹分類と栽培の専門書が出されるなど、牡丹ブームの火付となっていました。
黒田の三代当主光之の代には観世流の謡曲「牡丹」が創作されるなど
(謡曲「牡丹」と椿屋の件は『石城志』巻之八に細述)
福博における数寄者の文化の象徴としても大切にされましたが、
あまたの品種が生み出された博多市中や福岡城中の牡丹は
明治維新以降の近代化と太平洋戦争末期の福岡大空襲で
すべて姿を消してしまいました。

宝満山の山裾にひっそり咲くこの牡丹は
福博の遠い文化の香りを伝える貴重な一株なのです。



参考文献

「牡丹花銘の歴史」橋田亮二『現代日本の牡丹・芍薬大図鑑』1990年日本ぼたん協会
『石城志』津田元顧・元貫共編 明和2年(1765)