宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

九博の記念講演会

2009-11-23 | Weblog

昨日の午後、九州国立博物館の1階ミュージアムホールにおいて
記念講演会「祈りの山 宝満山 ―山岳信仰と修験道―」がおこなわれました。

これは現在同博物館の文化交流展示室 関連第9室でおこなわれている
企画展示「祈りの山 宝満山」にあわせて企画されたもので(http://blog.goo.ne.jp/dazaifu2340/e/9215229fdbc87bd2382658e54c9bb278)、趣意書きによれば、
「太宰府の霊山である宝満山の歴史と文化を最新の調査・研究成果を踏まえながら、歴史考古学・宗教民俗学の視点から複眼的に捉えるとともに、九州および日本の山岳信仰や修験道の歴史における宝満山の位置づけについて考えます。」
とされています。
内容は奈良県立橿原考古学研究所長菅谷文則先生による「山岳信仰の考古学」、
福岡県文化財保護審議会専門委員森弘子先生による「宝満山の歴史と信仰」の講演2本立てと、ディスカッションが。そして記念のイベントとして宝満山修験会による山伏問答の実演がおこなわれました。



 印象的だったのは菅谷先生のご指摘の中に、宝満山の初期の祭祀が「律令祭祀」で括れるのか?、という問いかけでした。奈良~平安時代初期に行われた山頂での祭祀が、皇朝銭、三彩陶器、滑石などの模造ミニチュア製品などのセットが確認され、小田富士雄先生が宗像沖ノ島の祭祀セットと同様な様相であることが指摘されて、国家的な律令祭祀であると結論付けられています。しかし、菅谷先生は古代の山での祭祀は律令で定められた用具を使ったようなものでなく、そこそこでの個別性があるのだ、と指摘されました。宝満での沖ノ島との類似こそが、ここでの祭祀の個別的な特徴の一面といえるのでしょう。

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