かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 189

2024-01-26 17:28:50 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究23
    【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
    参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、
        S・Iと鈴木良明は紙上参加
    レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    
189 きっとどこかへ通ずる謎の非常口メレット・オッペンハイムのお臍

      (レポート)
 メレット・オッペンハイムはスイスの芸術家で、彼女の残したことばに「誰もあなたを自由にはしない、そのことを理解せねばならない」があるという。しかし作者は、きっとどこかに非常口があり、それはメレット・オッペンハイム自身の最も要のヘソにあるだろうと詠っているのではないか。名前のひびきのたのしさ自体に救いがあるように思う。(真帆)


     (紙上意見)
 メレット・オッペンハイムに親近感をいだいている作者は、彼女の作品を生み出す根源に思いを馳せている。若い頃、美しかった彼女、その写真か、あるいは想像か、作者は彼女の臍を見詰めている、女体の臍は男性である氏にとっては、謎の非常口である。ここから、臍の緒と繋がり、創造物にゆきつくのである、やがて時が満ちてくれば、自然と生み落とされるだろう。美とはエロスである。その根源を女体の臍にみている。オッペンハイムと、渡辺氏の芸術の手法は似ている。全く違うものを組み合わせて、新しいイメージを生じさせ、鑑賞者に衝撃を与える…。「月読に途方もなき距離照らされて確かめにいくガスの元栓」、オッペンハイムの毛皮で覆われたコーヒーカップなど。ふたりは時代や言語は違うが、ことばやオブジェから受ける衝撃は似ている。(S・I)


 メレット・オッペンハイム(1913~1985)は、スイスの女性芸術家。有名なフレーズに「誰もあなたを自由にはしない。そのことを理解せねばならない」があるが、臍を含めた裸体画を結構描いており、その「臍」に、作者は、自由への「謎の非常口」をみているのだろう。(鈴木)


      (当日意見)
★真帆さんの名前の響きがいいというのは良い捉え方だと思います。(慧子)
★メレット・オッペンハイムは「シュルレアリスムやダダに参加した女性アーティス
 ト」とWikipediaに出ています。S・Iさんの書いている毛皮で覆われたコーヒーカップ
 は、彼女の有名な写真作品『毛皮の朝食』のことです。横浜美術館の常設の写真コー
 ナーで、マン・レイという写真家(シュルレアリスト、ダダイスト)が撮ったメレッ
 ト・オッペンハイムのポートレートを見たことがあります。題は忘れましたが、大き
 なハンドル(片手にべったりインクが付いていたので印刷機のハンドルかもしれませ
 ん)が全面にある等身大のモノクロヌードです。それにお臍が写っていました。なめ
 らかな質感の美しい写真でした。2度目に行った時はその写真が無くてがっかりしま
 したが。作者はそういう美しいお臍に女体への憧れとか母性的な神秘性とか感じてい
 るのでしょうか。鈴木さんの臍に「自由への『謎の非常口』をみているのだろう」と
 いうのに同感です。「非常口からわれ逃げしときまぶしさのなかにかがやくまぶしさ
 のあり」は先月やりましたが、ここではエロスのようなところに非常口の可能性を感
 じ取っているのかなと思います。ナチヌード、エイズ、男波女波ときてお臍ですから
 性的な流れがあると思います。また、真帆さん、鈴木さんが挙げているオッペンハイ
 ムの自由についての言葉と、「謎の非常口」という言葉はうまく響きあっていますよ
 ね。(鹿取)


     (後日意見)
 臍を「謎の非常口」として、自由への出口とすることに、当日の意見は終始しているようですがこれには疑問です、自由とは抽象的概念で、歌のテーマとはなりえません。この歌のどこにも出てこない自由が俎上に上がったのは「誰もあなたを自由にはしない、そのことを理解せねばならない.」とWikipediaを引用しているからです。この原文はNobody will give you freedom, you have to take itです。比べてみると上記のたどたどしい英語は、明らかに翻訳ソフトによる自動翻訳でしょう。正しくは「一体、だれが自由を与えてくれるっていうの!自由なんて、(苦労して)自分がかちとるものよ!」と訳すべきものです。この言葉からわかるのは、オッペンハイムにとっての自由は、個人を抑圧する政治体制からの自由ではなく、内面的な自由で、いわば、自由自在な芸術作品を生み出す素地といったものではないかということです。私たちは日常の些事に追われ、きまりや道徳に囚われる存在ですが、オッペンハイムはそのような日常的束縛から逃れ、常に自由であろうとして努力をした人だと思います、それが「自由なんて、自分がかちとるものよ!」ということばに表現されているのです、このような現実の関わりを捨て、精神の自由を得たからこそ、オッペンハイムの素晴らしい芸術作品が生まれたのです。
 以上を考慮すると、謎の非常口の内部は混とんとした芸術作品を生みだすエネルギーの源、エロスといった生みの情念や懊悩が充満しているところではないでしょうか。それが謎の非常口を通って世界へと投げ出されたオッペンハイムの芸術作品なのです。臍が謎の非常口となるのは、作者からみて、女体は母体でもあり、不可思議で神秘的なもので、臍はそのシンボルであるからです。「きっとどこかへ通ずる」は臍のどちら側をいっているのでしょうか?外側ではなく内側だと思います。
 作者はメレット・オッペンハイムの個性的な臍を写真で外側から(当たり前ですが)みているのです。この臍の内部に、きっと芸術作品を生み出す源があると言っているのではないでしょうか。共感する作家や、芸術作品に出会ったとき、その創作の秘密や根源に思いを馳せます。そのような時の歌ではないかと思います。(S・I)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 188

2024-01-25 11:21:51 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究23
    【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
    参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、
        S・Iと鈴木良明は紙上参加
    レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    

188 北斎はエイズを知らず絡みあい渦巻き男波女波怒濤す

     (レポート)
 信州の小布施文化観光協会のサイトに、葛飾北斎の美術館が紹介されている。展示されている二基の祭屋台には北斎自筆の「龍と鳳凰」と、一首に詠まれている「怒濤」がある。「怒濤」は通称、男波女波と呼ばれる。絡みあう男波女波はいかにも奔放で、エイズなど存在しなかった時代の力強さがある。(真帆)


      (紙上意見)
◆『神奈川沖浪裏』という印象派に影響を与えた木版画で、鑑賞者はまず中心にある富
 士山に視線が向き、動と静、遠と近の対比に感銘を受けるが、渡辺氏は波だけに関心
 を寄せる。波の躍動感、迫力を男女が絡みあうエロチシズムに置き換えている。そし
 て現代の文明病であるエイズと、想念は広がってゆく。(S・I)
◆北斎が描いた浮世絵の波―高低のある波の中で高い「男波」と低い「女波」が絡み
 合って渦を巻き怒涛しているーに性のうねりのようなものを感じている。それを過去
 の話にしないため、「エイズ」という言葉を入れて、現代に引き寄せて詠っている。
   (鈴木)


      (当日意見)
★この一首はすごく分かりやすい。北斎は春画を描いたからその連想から波、性的なも
 のに発展したんだなあと思う。(うてな)
★作者は北斎の作品名「男波女波」や「怒濤」を連ねることで波の動きの凄まじさをう
 まく描写していて、しかもエイズを持ってきたことで人間の性愛の比喩になってい
 る。とてもエロティックな歌ですよね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 187

2024-01-24 15:09:37 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究23
    【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
    参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、
        S・Iと鈴木良明は紙上参加
    レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    

187 ナチ・ヌード陰毛濃きを白日の野に立たせ種の保存のロマン

      (レポート)
 富国強兵を目的に〝産めよ増やせよ〟の政策を進めた日本。ナチス政権下では「配偶者選択十か条」が出され、その中にヌードの写真を載せたと聞く。西洋人の濃き陰毛と、白日のもと繰りひろげられる男女のロマン。政策下とは言え「白日の野」に明るさも感じる。(真帆)


      (紙上意見)
◆女性は産む機械のように裸で野に立たせられ、淫靡な視線にさらされている。ナチが
 信奉する種の保存ードイツ民族は唯一優秀な民族という優生学ーを実践するためだ。
 がそれはナチが考案した狂気のロマンだ。劣性とされたユダヤ人はホロコーストさ
 れ、また遺伝性疾患子孫防止法のもとに身体・精神障害者が虐殺された。(S・I)
◆ドイツナチスの政策として、『ドイツ裸体文化』が刊行され、ヌード写真掲載の雑誌
 なども発刊されるようになった。それは、エロやポルノといったものではなく、あく
 までも芸術的な視点から肉体美が表現されたもので、「白日の野に立たせ」て写って
 いるものもあったのだろう。それは優秀な遺伝子を残すための、「種の保存のロマ
 ン」でもあった。(鈴木)


      (当日意見)
★「種の保存」と言いながら残酷なことをしていた。だからこの歌は逆説だと思う。
    (慧子)
★皮肉ですね。(うてな)
★ナチは「種の保存」をロマンのように言っているけれど、何を馬鹿なという、ここは
 揶揄であり批判なんですよね。(鹿取)
★皮肉というのは文学の発想の一つですよね。塚本邦雄は短歌で皮肉ばっかり言ってい
 るけど。(うてな)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 186

2024-01-23 11:45:03 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究23
    【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
    参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、
      S・Iと鈴木良明は紙上参加
    レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    
186 作業着のままだしぬけに「宇宙図をみせろ」といって弟がくる

     (レポート)
 二〇〇七年から、文部科学省が全国の学校等に配布しているものに「宇宙図」がある。当歌集は一九九七年刊なのでこれとは違うが、兄である作者と、弟と、待ちに待った「宇宙図」が入手できたときの一場面と読んだ。宝島の地図を奪うに似た「だしぬけに」の気配。連作「眉間」の一首と読むと、祖父とともに農作業をしている弟かもしれない。(真帆)


      (紙上意見)
◆弟は地を這うような(例えば日々の株価を気にするといった)現実社会で汲汲とした
 暮らしをしているのだが、だしぬけに作業着、つまり背広姿で兄のもとにやってき
 た。兄は宇宙に思念を向けることが好きで、宇宙の進化や起源が判る宇宙図を部屋の
 壁に貼っていて、毎日眺めているのだろう。この兄のロマンチックな性格は、現実派
 の弟とは合わないので疎遠だったのかもしれない、弟の「宇宙図をみせろ」で兄弟が
 近づいたのである。その後は兄弟仲良く宇宙図をみているのだろうか。(S・I)
◆宇宙図―縦軸に宇宙誕生から現在までの時間の流れ、横軸に空間の広がりを表現した
 もの。地上での作業をしていた弟が、だしぬけにこのような「宇宙図を見せろ」と
 言ってくる、飛躍、意外性が面白い。(鈴木)    


      (当日意見)
★S・Iさんは作業着が背広だという解釈ですが、ふつつ背広を作業着とは呼ばないで
 しょう。また、背広と宇宙図の取り合わせはギャップがあまりなくて面白くない。
 この歌集『寒気氾濫』では冒頭二首めから弟の歌が出てきて、たとえば四首めは「お
 みなには吃る弟がトラックの巨きさとなりきりて飛ばすよ」という歌です。この歌集
 の弟像は一貫してブルーカラーという設定です。もちろん、現実に弟さんがいるか、
 いてもどんな仕事をしているかは関係ありません。ただ設定上は現場で働いている弟
 が作業着のまま、何だか急に宇宙図に興味をもって突然やってきた。お兄さんは常に
 宇宙図を見ていることを知っている弟さんなんですね。その弟をいいねえと面白
 がっている場面かなと。宇宙図そのものが無限に開いているので、そういうのびやか
 さもありますね。(鹿取)
★宇宙図を見せろが脅迫めいた感じだけど、今すぐ見たいという気持ちの表れ。作業着
 と宇宙図のアンバランスは鹿取さんが言ったとおり。(慧子)
★私は渡辺さんの歌集を全く持っていません。一首鑑賞の時でも歌集全体を見渡した鑑
 賞でないといけないのでしょうか?(うてな)
★難しい問題ですね。一首のみの鑑賞でいいと思います。たまたま私は全部の歌集持っ
 ているのでどうしても全体をみて言いたくなるのですけれど。(鹿取)
★S・Iさんが「兄のロマンチックな性格は、現実派の弟とは合わない」と書いていらし
 て、全体を見るとそうなのかなあと。(うてな)
★いや、S・Iさんもこの歌集はもっていらっしゃらないので、この一首から判断された
 んだと思います。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 185

2024-01-22 17:01:11 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究23
    【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
    参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、
        S・Iと鈴木良明は紙上参加
    レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    
185 土がにおい汗ぼうぼうの扇状地 農に痩せいし祖父の鳩尾(みずおち)

        (レポート)
 扇状地を農地として使うには、想像を超える苦労があるのだろう。農業を営む作者の祖父は、鳩尾がくぼむほど痩せている。そんな姿を上句の「土がにおい」「汗ぼうぼう」が引き出す。作者は群馬県に住む。ここは大間々扇状地かもしれない。(真帆)


      (紙上意見)
◆農作地としては厳しい扇状地を開拓しつつ、農業を営んだ祖父を、鳩尾に滴り落ちる汗や、褪せた姿と視覚で捉えている。「ばうぼう」という濁音が、草が茫茫と生え乱れている様と、汗が滂沱の如く流れ落ちる様と,二重に用いられ、農に塗れた無骨な祖父の姿を浮かび上がらせる。(S・I)
◆「扇状地」は川が山地から平地へ流れる所にできる地形である。祖父は痩せて、「土がにおい汗ぼうぼうの扇状地」と形容されるような鳩尾をしつつ、苦労して長く農業を営んできた。(鈴木)


      (当日意見)
★扇状地のイメージを鳩尾に転換したテクニックが面白い。ただ3句と結句で体言止め
 になっていて違和感を感じる。私は前登志夫のファンで、こういう構造の歌があるか
 どうか彼の6冊の歌集を調べました。そしたら1首か2首しかなかった。他の人の歌
 集にも極めて少ない。だからこの構造の歌はやらない方がよい。でも逆にいうとこう
 して並べることで扇状地と鳩尾が自分の言いたいポイントだということがよく分か
 る。ここはポイントが明瞭に伝わるので成功していると思う。(うてな)
★確かに一般的には3句と結句で体言止めにすると、ぶつ切れになってなめらかな律を
 損なうし失敗することが多いですけれど、これはいい歌だと思います。扇状地と鳩尾
 という形態的にイメージの似たものを衝突させて、しかも抒情性を保っているし、祖
 父への思いも滲んでいる。余談だけど、松男さんの造型したおじいさん像というのが
 私はどの歌をとっても好きです。(鹿取)

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