かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 55,56

2023-06-06 17:38:41 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑦(13年7月)『寒気氾濫』(1997年)
   【八月十五日うつそみ、パーフェクト・エッグ】
   参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子


55 木のうちへうちへとそそぐ月の光(かげ) 木の内界も穢土にやあらん

      (まとめ)
 俳句になりそうな浄化の深さを感じさせる上の句に対して、こういう下の句を見ると思念を呼び覚まされる。そうなのか、と苦しい重い気分になる。「無といわず無無ともいわず黒き樹よ樹内にゾシマ長老ぞ病む」とも関連がある歌と思う。伝統から切れている潔さも感じる歌。
  (鹿取)
      
56 つくづくとメタフィジカルな寒卵閻浮提(えんぶだい)容れ卓上に澄む

      (まとめ)
 歌集をいただいた時、この歌が扉に書かれていた。第二歌集『泡宇宙の蛙』に「宇宙呑み蚊が重たそう 絶対矛盾の自己同一の西田幾多郎」と言う歌があるが、私も哲学で少しその辺を囓ったので、小さいものに大きなものが入るというのは自然に受け入れられる。卵が先か鶏が先かの論争もあるように、卵というのはものの創めの形だから、大根とか人参では代用できないアイテムである。楕円形をした寒の卵はこの世一切を容れた状態で卓上に澄んでいるという。この歌は『寒気氾濫』の自選5首に入っていて、作者が自歌自注しているので引用しておく。(鹿取)

    【渡辺松男の自歌自注】
メタフィジカルという語と卵とは矛盾するものです。それを一旦矛盾させておいて結句「澄む」で解消させるのが味噌でした。そのためにはただの卵ではだめで、寒卵でなければなりませんでした。卵の中→黄身→浮という連想が働くことから、全世界や宇宙という言葉ではだめで、閻浮提という語でなければなりませんでした。小に大を包含させる、極小に極大を見る、というのがわたしの好きな発想のパターンのひとつでした。   (「かりん」2010年11月号)
  
コメント
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