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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 329(トルコ)

2019-09-10 19:58:10 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠45(2011年11月実施)
   【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)164頁
    参加者:K・I、N・I、泉可奈、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


329 人間が考へることとつぴでもなくて氷河の胎内にゐる

      (まとめ)
 「1912年にヨーロッパで最も高所を走るユングフラウ鉄道がクライネ・シャイデックからアイガー(3970m)やメンヒ(4099m)の峰々の下をトンネルで抜けてユングフラウヨッホ(3454m)まで開通」とブリタニカ国際大百科事典にある。ちなみにクライネ・シャイデック
駅の標高は2061m。
 「胎内」という言葉だが、ブログの旅行記などにも「アイガーの胎内を走る登山電車」との記事が見えるので、「胎内」と通称されているのだろう。「とつぴでもな」いのは、「胎内」の名称についてであろうか。「胎内」というとぬくくまろやかなイメージだから呼称は一見不思議のようだが、氷河を掘った穴の中を「胎内」と呼び習わしているのだろう。そこに作中のわれは「ゐる」のである。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 328(トルコ)

2019-09-09 19:13:00 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

328 宗教が貧しさを苦とせざることトルコの旅に憩ひさびしむ    

     (レポート)
 このお歌には、私として、ちょっと異議がある。「宗教が貧しさを苦とせざること」とは、どのような内容を指しておられるのか、私には、ちょっと疑問である。現在の貧しさに対して、神への信頼が、彼等をして現状満足していると見られるのは、ちょっと疑問である。(T・H)


      (当日意見)
★老人達は穏やかな顔つきをしているのだろう。お金持ち国日本から来た自分のうしろめたさだけ
 ではなく対象の老人たちをもさびしんでいる。満足していていいのかという歯がゆさがあるのか
 もしれない。作者は民族、政治的に救う方法はないのかと思い、にもかかわらずトルコの旅に憩
 いを見いだしている自分をさびしむのであろう。(鹿取)


     (まとめ)
 レポーターが「宗教が貧しさを苦とせざること」という点に異議、疑問を呈しておられる点についてはもっともで、私(鹿取)も全く疑問が無いわけではない。私は信仰を持たない人間だが、若い頃はよく「宗教は結果的に現状を肯定し為政者にとって都合の良いものになるだけではないか」と葛藤したことがある。レポーターは信仰を持っている方なので「神を信じ信頼することが(特に政治的にみて)現状を肯定することになるというのは誤解だよ」と言いたいのだろう。レポーターの意見をもっと聴いてみんなで議論を深めたかったが、時間切れになったのが残念である。しかし上二句の断定の強さは、馬場の歌の作り方の特徴の一つで、こうは言いながら、おそらくT・Hさんの疑問も鹿取の疑問も、この歌にはおり込み済みなのだろう。下の句をみても、そういう含蓄をもっていると私には読める。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 327(トルコ)

2019-09-08 20:58:04 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

327 苦悩なき顔もて貧しき老爺たち夕べのチャイを道にゐて飲む

     (レポート)
 乾燥地帯ではチャイをよく飲む。貧しい身なりをした老爺たちが、チャイハナの縁台に座ってチャイを飲みながら四方山話に花を咲かせている。彼等に「苦悩」がないかどうかはわからない。むしろ苦悩はいろいろあるだろうが暢気そうな顔をしておしゃべりを楽しんでいる。先生はその情景をご覧になって、むしろほっとしておられるのではないだろうか。(T・H)


      (当日意見)
★苦悩ある顔だからこういっている。(泉)
★貧しいけれど精神的に豊かな顔をしている。(N・I)
★書いてある通りに読めばよい。(藤本)
★「苦悩なき顔」はねじ伏せた使い方。(鹿取)


     (まとめ
 もちろん苦悩が無いわけではないが、それを表に出して深刻そうな顔はせず、あくまで穏やかな顔つきをしているのだろう。だから作者は老爺たちの内面は承知の上で「苦悩なき顔」と詠っている。古文の「ゐる」は座る・しゃがむの意味なのだが、ここの「ゐ」はそれで、集まった貧しい老爺たちは道にしゃがむか座るかしてチャイを飲んでいるのである。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 326(トルコ)

2019-09-07 19:40:03 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

326 木ぞ一つ立てると見ればアナトリアを耕せる家族暗くまどゐす

     (レポート)
 今、先生方ご一行は、バスでアナトリア周辺をドライブしておられる。ふと見ると道路沿いに、樹木が一本立っていて、その根元の所に今耕作をしていたのであろう農家の家族がお昼寝をしている。その情景をご覧になって、先生はなぜ「暗くまどゐす」と言われたのであろうか。(T・H)


      (当日意見)
★曽我さんのレポートにある316番歌(神は偉大なりといひて瞑想に入りしとぞアナトリア大平
 原の寂寞)に関連して読むとよく分かる。コンヤは古い宗教都市である。(藤本)
★豊かでないアナトリアで田畑を耕して暮らし、宗教に支えられて暮らしている。木の下だから木
 陰である。(慧子)
★アナトリアを耕す過酷さを言っている。(崎尾)


     (まとめ)
 ミレーの宗教画を思い出した。「まどゐ」は団らんで、レポーターのいう昼寝ではない。一本の木の下に集まって憩いをしている情景は静かだ。家族で一塊になっている姿が孤立しているようで「暗く」見えたのかもしれない。夕暮れだったかも知れないが、「暗く」はあくまで精神的なものであろう。一本の木を詠うことによって、かえってアナトリアの大地の広さが見えるようだ。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 325(トルコ)

2019-09-06 19:09:04 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

325 水涸れし瞑想の泉に膝つきてかの日いもうとがみしものを見む

      (レポート)
 今、瞑想の泉には水が無い。そこで先生は、その淵に膝を付き、いもうと様が、かつての日に見ようとされたトルコタイルの美しさを仰ぎ見ようとされておられる。そこにはいもうと様への鎮魂の感情も流れている。(T・H)


     (当日意見)
★「膝つきて」で鎮魂の気持ちを表している。(慧子)
★亡くなった方はタイルの美しさだけに見ほれていたのだろうか。もしかしたらタイルの向こうに
 トルコの歴史、民族、政治等さまざまなもの、宗教的な人間存在とは何かを見ていたのではない
 か。何と言っても場所は「瞑想の泉」なのだから。と、作者が思ったかどうかは分からないが、
 少なくとも今作者は、眼前に見える建物や風景の美しさだけを見ているのではない。「見む」は
 意志であるから、作者はいもうとが見て感じたことの追体験をしようとしている。(鹿取)


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