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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 324(トルコ)

2019-09-05 18:09:10 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

324 トルコタイル陽をうる時の美しさ見上げゐてここに斃れしいもうと

      (レポート)
 トルコタイルは全く美しい。太陽の光を受けてキラキラ輝いていたその美しさを仰ぎ見ておられた義妹さまが、池に落ちて亡くなられたとか……全くご不幸なことでありました。今、先生はトルコタイルの美しさに見とれながらも、亡き義妹さまを偲ばれている。(T・H)


       (まとめ)
 この神学校は彫刻が美しいことで有名で、それ故に現在は彫刻博物館になっているそうだが、もちろんブルーのタイルも美しいに違いない。タイルを見上げていて斃れたというのは作者の想像か、それとも同行者がそう伝えてくれたのか。いずれにしろ「斃れしいもうと」と体言止めにして結句に万感を込めている。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 323(トルコ)

2019-09-04 20:26:20 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

323 神学校の屋内に瞑想の泉ありて苦しめるものは耳を休めき
             
      (レポート)
 イスラム教の神学校の内部であるから、「瞑想の泉」と称されるものがあるのは分かる。ただ、瞑想の森で休めるのが、どうして頭でなく耳なのであろうか。イスラムの祈りを捧げる時、信者は皆耳に手を当てている。このことと何か関係があるのだろうか。(T・H)


     (当日意見)
★今はこの泉に水はない。325番歌(水涸れし瞑想の泉に膝つきてかの日いもうとがみしものを
 見む)に水が涸れていると詠われている。(藤本)
★三句目十一音にもなるのに泉ありてと「て」を入れているのはわざと。また、「き」は過去の助
 動詞だから耳を休めたのは昔の話。(鹿取)


      (まとめ)
 神学校の屋内には今も瞑想の泉の跡が残っているのであろう。しかし水はもう涸れているのだ。はるか昔、その神学校で学び、生の苦しみを取り去りたくてそこで瞑想していた者たちは、その泉の音に耳を休め、心をなぐさめられたのだろうなあ、と想像している。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 322(トルコ)

2019-09-03 19:09:36 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

322 ネイといふトルコの笛の退屈のさびしさに酔ふ秋のひかりに

      (まとめ)
 ネイは細長い笛で、日本では尺八のような楽器だそうだ。you tubeで演奏を聴くこともできる。聴いてみるとアジア的で哀調を帯びた音色に聞こえた。そうでなくても寂しい旅の途次、季節は秋で、妹さんの亡くなった地でもある。もっとも個人的な事情はなくとも旅の途次に聴く初めての楽器は、馴染んでいなければ単調で退屈だったかもしれない。「退屈のさびしさに酔ふ」に納得させられもするし、魅せられる。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 321(トルコ)

2019-09-02 20:17:57 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
    【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

321 コンヤの街にふしぎの楽の匂ひある夕ぐれを嗅ぎて駅深く入る

     (当日意見)
★楽を「匂ひ」と意外の形容をした。(慧子)
★土地の風俗、土着の音楽のことを言っているのでは。(N・I)
★コンヤに日本の支援によって原子力発電所ができるそうだ。(藤本)
          

        (まとめ)
 コンヤの人口は現在76万人。われわれにはあまり馴染みのないトルコ独特の音楽が街にはあふれていたのであろう。その音楽を全身で受けている感じを「匂ひ」と言い「嗅ぐ」といったのではないか。駅は電車かバスか不明だが、「駅深く入る」に余情がある。(鹿取)


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渡辺松男の一首鑑賞 2の77 追加版 

2019-09-01 17:29:40 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【邑】P50~
     参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放

77 せつせつと蜻蛉ら交尾しつつ飛び遥かなり近きなり遥かなり空

     (レポート)
 せつせつと飛んでいる蜻蛉から目の離せない作者がいる。下句の修辞の巧みさに注目した。遥かなり、近きなり、遥かなり、と繰り返すことによって、韻律と同時に蜻蛉のかろやかさ、ゆれるさま、陶酔感、そして作者自身の正気が遠くなるような夢見心地な抒情も表現されていると思った。(真帆)


      (当日発言)
★蜻蛉を「せいれい」と読まれましたがここは「とんぼ」だと思います。とんぼと
 読めば2句の句割れしている「蜻蛉ら交尾」が7音に収まるので。下の句は拗れ
 ながら高く低く飛んでいる感じですよね。それで空が遠くなったり近くなったり
 する。それを「遠く」ではなく「遙か」と言ったところに、はろばろとした寂し
 さみたいな気分が滲んでいるし、レポーターがいうように「遙か」は陶酔感も呼
 び出す仕掛けだと思います。(鹿取)
★交尾だから恍惚感。自分の体験からしか歌はうたえないから、それが反映してい
 ると思いました。(慧子)
★私は自分の体験以外からも、いくらでも歌は作れると思います。何か対象を観察
 してそれを詠むこともできるし、全くの未知の物事を空想で歌うこともできると
 思います。もちろん、それをうたうからには、どこかで自分に繋がってはいるん
 でしょうけれど、その繋がりは必ずしも体験を通しているとは思いません。
   (鹿取)
★時間のことも感じられる歌だと思います。昔からずっと続いている。(K・O)
★そうですね、生殖は子孫を残す行為で大昔から営々と続いてきたんですね。
  (鹿取)
★蜻蛉の後尾はすぐに終わって、産卵する場所を探すためにオスとメスは繋がって
 飛ぶそうです。別にこの一首が間違っていると言うのではないですが。(真帆)
★まあ、詩的真実というのもありますから。作者はそういうふうに見たって事です
 よね。(鹿取)

      (後日意見)(2019年8月)
 この歌の下の句について、どこかで見たような気がしていたが次の歌が下敷きになっているのかもしれない。
ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり              北原白秋『黒檜(くろひ)』
 昭和12年のクリスマスイブ、白秋は眼底出血のため神田駿河台の病院に入院していた。病院近くのニコライ堂からはクリスマスの鐘が揺り返すように大きく小さく小さく大きく聞こえてくる。眼を病む白秋の耳は研ぎ澄まされていたことだろうが、鐘のゆったりした揺れを捉えておおらかな美しいリズムを作っている。(鹿取)
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