かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 120

2023-09-26 12:48:04 | 短歌の鑑賞
2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放


120  臓も腑も捨てられしなり白鳥の剥製抱けば風花のなか

      (レポート)
 白鳥の剥製は、白鳥の姿を保っているが、臓も腑も取り去られている。そのような白鳥をそっと抱いていると、いつのまにか初冬の風が立って雪がちらついてきた、というのである。臓も腑も取り去られて実体のない白鳥―ある面精神だけが取り残されたような白鳥を抱いた時の感触が、「風花のなか」という言葉によって一層喚起される。    (鈴木)


          (当日発言)      
★この剥製は外にあるんでしょうかね。(鈴木)
★館内でしょうね。剥製にするにはものすごく費用がかかっていますからガラスケース
 に入れるなどして守られている。(N・F)
★臓腑が取り去られた白鳥を抱いたときの中身のない頼りなさとかはかなさが、風花の
 なかというイメージによくマッチしていますよね。白鳥、剥製、花というハ行音の連
 なりもやわらかくて美しいと思います。(鹿取)
★これは実際白鳥を抱いたかどうか分からないよね。まあどっちでもいいけど。(藤本)
★仕事がら抱いたんじゃないですか。博物館にできたての剥製を運んでいくときかな。
 鈴木さんが最初に外か、と疑問を呈されたけど、戸外を抱いて運んでいるときに風花
 が舞ってくるって情景。事実関係はどうでもいいけど、歌の設定はそういうことだと
 思います。仕事と関連づけましたが、仕事を知らなくても鑑賞はできると思います。
   (鹿取)
★渡辺さんは哲学をやられていたので、時間的な流れを歌っていると思う。過去の生き
 ていた時と現在と、これから博物館に展示されて見られる存在と。鳥と自分と来館者
 と三者の関係はどうなっているんだろうと、そういう感慨もあったかもしれない。死
 後は生きていた時のもろもろは捨て去られて精神だけが残ってしまう、そういうもの
 になるのかなと。生と死の境めみたいなことを、風花の中でそういう深い思いが喚起
 されているのかなと。(N・F)
★鈴木さんの解釈は「精神だけが取り残されたような白鳥」とありますが、作者はそこ
 まで思っているのかなあ。(藤本)
★作者が考えていたかどうかは分からないけど、鑑賞者の読みです。(鈴木)
★私はもっといのちの空しさを白鳥に感じたのですけれど。(藤本)
★そうですね、さっきN・Fさんがおっしゃったように、生と死、そのさかいめはどう
 なっているんだろうということが渡辺さんの大きなテーマですが、剥製になった白鳥
 に精神だけが残っていると考えても、藤本さんのように(私も同意見ですが)精神も
 残されていないと考えても、命の儚さは導かれますよね。(鹿取)
★命の儚さとか空しさを言っているのは自明のことなので敢えて書きませんでしたが。
    (鈴木)


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