かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 293

2024-08-02 10:23:59 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたもの
  ですが、当日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
     

293 新幹線にお百姓さんがまどろみて手のあるところ日が射している

    (レポート)
 出張帰りの新幹線の車中の景か。専らビジネスマンが多く利用している平日の昼の新幹線に似つかわしくないお百姓さんが乗り合わせていたので、特に目についたのだろう。スポットライトのように日が射している手は、ビジネスマンの白いすべすべした手と異なり、荒れてごつごつした働く人の手で、これをあえて具体的に言わないところが上手いところだ。「お百姓さん」という言い方に、まどろんでいる人に対する畏敬のような気持ちも感じられる。(鈴木)


      (事前意見)※
 どうしてお百姓さんと分かったのだろう。新幹線だから横並びの席だと思うが、二人がけのお隣でお百姓さんがまどろむまで少し会話を交わしたのかもしれない。膝の上に置かれた手だろうか、その手に光を当てることで手の持ち主をねぎらっているようだ。しかし「手のあるところ」は「手の置かれているところ」か、手の中のある部分を指すのか、少々あいまいのような気がした。(鹿取)


        (当日発言)
★「手のあるところに日が射している」で具体が見えます。(慧子)
★お百姓さんがまどろんでいるところを見て、自分はこの出張でいろんなものを抱えて
 いるけれど、お百姓さんがこんなふうにしてるってことはいいなー、そういう立場に
 立ちたいなー、と。そういうふうな歌だと思います。(曽我)
★「お百姓さん」に親しみや尊敬の念が籠っている。ビジネスマンは顔も手も白いし、
 すべすべしているが、土に生きたお百姓さんは、ごつごつした働く人の手。情景だ
 けを言って、色々と読者に想像させる詠み方がいいなと思いました。(S・I)
★お百姓さんは光を司っている人のよう。お百姓さんの手があるところに光が従いてき
 ているような。自然とともに生きる人の、正しさとはいわないけれど、強さという
 か。自分との対比が表れていると思いました。(真帆)
★この歌集には作者自身がおじいさんを手伝い農作業をしている歌もあった。それを背
 景に読むとこの歌がさらによくわかるところもあります。(鈴木)


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