かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 44 アフリカ④

2023-08-21 17:55:53 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 5(2008年2月実施)
  【阿弗利加2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P165~
  参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、高村典子、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


44 アッラーは貧しき歎きを教へざりき名工の手のぼろぼろの老い

             (まとめ)
 「老い」の語を結句で使っているのでここでは「名工」と言っているが、「十匹のばつたを少年に売らしめて老工はアッラーに膝まづきたり」の歌にも登場した老爺なのだろう。アッラーは貧しい嘆きを教えなかったから、老爺らはささやかな収入に対して不平不満は言わず、感謝の祈りを捧げるだけである。しかし一生手業で暮らしを立ててきたその手はぼろぼろである。それでも、人間は生まれた国と風土と己れの個別性を受け入れて生きる以外にない。誰とも入れ替わって生きることができない以上、彼と我との間にどんなに圧倒的な差があろうとわれを生きる以外にすべは無い。
 宗教はえてして現実をありのまま肯定することを教えるが、それでは身分や貧富の差を解消することができない。宗教の教えは結果的には身分制度の上位にある者、政治を執り行う者、地主やお金持ちなどの既得権を守り、彼等に有利に働く。宗教には常にこの矛盾がつきまとうように思うが、それは世俗的に毒された考え方だと言われればそうであろう。しかし宗教にまつわる普遍的な課題ではなかろうか。少し横道に逸れたが、この名工はたぶん宗教の持つそういう仕組みに気づいてはいないのだろう。それに対してやはり作者は深い嘆息を禁じえないのだ。(鹿取)


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